鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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注⑴ 大橋俊雄「史料紹介 飯塚桃葉関係史料─飯塚家の成立書を中心に─」、『漆工史』第15号、漆⑺ 古方医学(古医方)とは、江戸時代におこった漢方医学の一派で、16世紀初頭以降に流行した空理空論的な金元時代の医方ではなく、後漢末の『傷寒論』を至上のものとした経験主義的医学。⑼ 『徳島市史』第五巻「第一章 藩政期の医師と医療」、徳島市教育委員会、2003年⑽ もちろん藩内に下地が皆無だったわけではなく、徳川吉宗の時代の幕府による享保元文全国産物調査の折に作成されたとみられる「阿波国産物絵形帳」のような史料も遺る(福島義一「阿波産志の成立と発見④~⑥」、『徳島県医師報会』第205~207号、1988年)。⑵ 大橋俊雄「初代飯塚桃葉の作品」、『美術史の断面』、武田恒夫先生古稀記念会編、清文堂出版、1995年。この時点においては、薬箪笥の扉の施錠がとけず、内部の様子がわからなかったが、解錠後にあらためて作品紹介がなされている。多比羅菜美子「飯塚桃葉作 百草蒔絵薬箪笥」、『国華』1391号、国華社、2011年。⑶ 器表の文様については前掲注⑵大橋論文に詳しい。⑷ 大阪歴史博物館・内藤直子氏のご教示によれば、合子および本体の飾金具の精緻な金工は、白⑸ 高尾曜「飯塚桃葉の印籠」、『華麗なる装い』徳島市立徳島城博物館、2003年⑹ 永島明子「作品紹介 初代飯塚桃葉の蒔絵作品(その2)妙心寺天授院蔵「蓮池雲龍蒔絵厨子」一基」、『学叢』26号、京都国立博物館、2004年、前掲注⑵大橋論文、大橋俊雄「飯塚桃葉作 塩山蒔絵細太刀拵(東京国立博物館蔵)とその文献史料」、『MUSEUM』606号、東京国立博物館、2007年、大橋俊雄「飯塚桃葉と波涛蒔絵鞍の制作」、『徳島県立博物館研究報告』29号、徳島県立博物館、2019年など⑻ 薬名の大半は、現行の公定書・日本薬局方第八改正(JP18)に収載される生薬名に合致する。それら基原(原植物)は、JP18に準じたが、薬袋や薬箱に内容物が残っていないため、文字情報と薬学的背景に基づき解説した。⑾ 松岡明子「高松松平家博物図譜の成立─一八世紀博物図譜の模作─」、笠谷和比古編『徳川社会と日本の近代化』、思文閣出版、2015年、大場秀章「『衆芳画譜』と『写生画帖』」、『高松松平家所蔵衆芳画譜 研究編』、公益財団法人松平公益会、2021年6.おわりに「薬箪笥」を美術史と薬学の両視点から分析し、そこから得られた知見をもとに、制作背景を導き出した。本草家や蘭学者が各地で活躍した18世紀は、彼らによる美術品等が誕生したが、本研究では蜂須賀家のケースを浮かび上げさせることができたと思う。今回深く追求できなかった内容品に見える蘭方には蘭学者の存在が考えられるが、高松藩等の関係から、平賀源内も視野に入れながら今後は検討してみたい。「薬箪笥」は漆工史上、お抱え蒔絵師の基準作として、またその至高の技術を伝える作例として重要なだけでなく、さらに多くのことを教えてくれそうである。工史学会、1992年銀師系統の作者が想定できるという。― 442 ―― 442 ―

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