鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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房重源の活躍期(鎌倉時代初期)周辺を上限とすることを前提に、本稿は④使用方法およびその目的を中心とした試論としたい。本作の阿弥陀幅と他二幅は、一見してその色使いや構図に乖離がみとめられることから、両者の制作時期が異なるという指摘があり、同時制作か異時制作かに関する議論が絶えず続けられている。しかしながら、例えば異時制作論は、阿弥陀幅のみを平安時代後期の制作とし、他二幅を鎌倉時代に入って以降の制作とみなすという考え方に基づくもので、三幅を一揃いのものとして使用したか否かという問いに必ずしも回答しているとはいえなかった。こうした状況を踏まえ、本稿では阿弥陀幅と他二幅との間にある空間表現の差に着目し、その表現の意味するところについて私見を述べ、成立過程について使用方法や歴史的背景と併せて議論したい。まず阿弥陀幅であるが、説法印を結び蓮華座上に結跏趺坐する阿弥陀は、散華のなか、雲上で静止するような姿がとらえられている。画面下部にみえる雲には雲脚の描写はなく、阿弥陀には運動性が感じられないことから、阿弥陀が「来迎」している現象を描いているとは考え難い。つぎに、観音・勢至幅と童子幅では、彼らは雲に乗って散華の中を一定の方向へスピード感をともなって進む姿がとらえられていることがわかる。すなわち、阿弥陀と観音・勢至・童子では、描かれた空間にみえる「動性」が異なることから、阿弥陀幅と他二幅では彼らの位置する場所そのものが異なる可能性が高い。また、観音の両手に金色の蓮華が抱えられていることから、観音・勢至は少なくとも此岸にいる往生者と対面を果たすという場面が想定されていることがうかがえ、画風を同じくする童子もまた、彼らと同じ空間にいると考えられる。そして、勢至が背を向けて描かれていることは、彼らは降り立った此岸で往生者とすでに対面を果たしており、その人を迎えとっているため、いざ此岸を離れ阿弥陀如来の待つ極楽浄土へと向かう瞬間を描きとったがための表現とみることはできないだろうか。以上から、阿弥陀の位置する空間は彼岸であり、観音・勢至・童子は此岸にいるという状況を描いていると考えられるのである。阿弥陀幅と他二幅とでは画面全体の明るさも大きく異なっており、とくに阿弥陀幅にみえる内から発光するようなやわらかな明るい画面の表現からしても、そこが彼岸であるということを傍証しているといえよう。そして、観音・勢至幅にあらわされた後姿をとらえるという特異な表現は、この画幅が往生者を迎えとった後の「帰り来迎」の情景をあらわしていると考えられるのである。絵画作品にみえる帰り来迎の表現は決して多くなく、古くは平等院鳳凰堂壁扉画中の上品下生図〔図2〕などに確認できるが、単独の絵画としては南北朝時代の制作と― 447 ―― 447 ―

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