鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
457/549

目される香雪美術館蔵「帰来迎図」〔図3〕が現存唯一の例である(注4)。香雪美術館本はその珍しい画題および構図から、かねてより九品往生図を想定した複数の画幅の中の一図である可能性が指摘されており、令和の修復の過程で画絹の縁に手描きの枠線が発見され、当初から単幅の帰り来迎図として制作された可能性も考慮されうることとなった(注5)。これらはいずれも『観無量寿経』所依の九品往生図に拠っているところが大きく、ふり返っては八世紀の綴織当麻曼荼羅の下縁部に原形がもとめられるが、法華寺本の観音・勢至幅の図様はこれらとは明らかに一線を画すものであり、異なる思想的背景が流入していることが考えられる。わが国にのこるいわゆる「来迎図」は、平安時代末期に制作されたものがもっとも古いが、これらの中に帰り来迎のさまを単独の絵画として意図的にあらわしたものはない。先に挙げた作例にみえる帰り来迎の表現は、阿弥陀聖衆らの来迎という劇的なシーンの続編として描かれたもので、この絵画を実際に目にする者からすれば、それは他人の身に起こった出来事を遠くから眺めているような感覚が与えられるにすぎない。一方の法華寺本では、観者はまるで自身の身に起こりうる往生の儀礼に参加しているような臨場感に満ちた画面を目にすることとなり、その意味で、おなじ「帰り来迎」という言葉を用いても、法華寺本とそれ以前の作品とでは質的にまったく異なるものであることを指摘しておきたい。平安時代からの伝統に基づく作品には、聖なる存在が往生を望む者を迎えに行くという浄土からの視点が大きくはたらいており、したがって「来迎図」という総称もこれに合致している。法華寺本がいわゆる「来迎図」の中に置かれたとき、特殊な画面であることは従来から指摘されるとおりであるが、その最たる要因は以上に確認したとおり、往生者の視点が多分に含まれていることにある。南都焼討を経て荒廃した奈良の都においては、往生を望む人々は来るべき迎えをただ待つよりも、彼岸へわたることを急ぎ切望したのではなかろうか。此岸から極楽を夢見る人々の心情に寄り添った造形として、「往生図」の制作という意識が芽生えるのならば、我々もまた個々の作品ごとに描かれた視点を確認する必要があるだろう。二、阿弥陀幅のはらたき法華寺本の観音・勢至幅および童子幅が此岸から彼岸へと帰るさまを描いたものであることがみとめられたとき、その表現はなにをもって選択されたのか、また平安時代末期から数多く制作された、いわゆる「来迎図」に追随することなく、なにゆえこうした新しい画面を制作することになったのかという問いがあらわれる。「帰り来迎」― 448 ―― 448 ―

元のページ  ../index.html#457

このブックを見る