鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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④ 東京美術学校出身者による学術見本の制作に関する調査研究─佐藤醇吉関連資料の調査を中心に─研 究 者:東京大学大学院 人文社会系研究科 助教  藏 田 愛 子はじめに本研究は美術家と学術分野の関わりに着目し、大学や博物館の学術見本(図・模型等)制作における東京美術学校(以下、美校と略)出身者の関与を検討しようとするものである。美校の卒業生や教員に図画教員として活躍した者が多くいた点は、金子一夫氏(注1)による近代日本美術教育の研究や吉田千鶴子氏(注2)の東京芸術大学史等の研究により詳細が解明されてきた。近年は本研究課題において便宜上「学術見本」と呼ぶような、教育研究上の利用を目的に作られた図画や模型類の制作や使用の実態解明に向けた研究が盛んである(注3)。本稿では、こうした先行研究を踏まえながら、美術家と学術分野との関わりがうかがえる事例のうち、とくに美校の西洋画科を卒業した佐藤醇吉(1876-1958)に関する一次資料や関連文献の閲覧調査を実施した。1.東大理学部の美校関係者美校の美術家と学術分野との接点を探るにあたり、まずは明治後半頃から大正前半頃にかけての美校西洋画科卒業生と東京帝国大学理学部生物学科植物学教室(以下、東大植物学教室と略)の関わりを見ていくことにする。報告者はこれまで明治期の東京帝国大学(現・東京大学、以下では東大と略)、東京帝室博物館(現・東京国立博物館)、東京教育博物館(現・国立科学博物館)等が雇用し、大学や博物館の中で必要とされる様々な図の制作に携わった画工に関する調査研究をおこなってきた(注4)。明治10年(1877)に始まる東大理学部においては、大学紀要や学術書に図版が頻繁に用いられており、それらの図版原画を専門に描く画工が活躍している。たとえば明治14年度の東大理学部(植物園を含む)には、印藤眞楯、野村重次郎、木村静山、松井昇、加藤竹斎といった人物が画工として勤務していたことが、大学文書や年報等の調査により判明している。こうした明治期の大学や博物館での勤務経験を有する描き手のうち、美校に縁の深い人物の一人として、長原孝太郎(1864-1930)の名前をあげることができる。明治20年代、30年代初めに長原が東大理学部の画工をつとめていたことや長原による図の制作に関しては、牧野研一郎氏(注5)や増野恵子氏(注6)の論考において詳らか― 38 ―― 38 ―

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