鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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─C. E. ノートン、W. J. スティルマン、E. T. クック─③ 徳富蘇峰と英米のラスキニアンとの交流研 究 者:学習院大学人文科学研究所 客員所員  三 木 はるかはじめに『国民之友』『国民新聞』を創刊した出版人・言論人にして、『近世日本国民史』を著した歴史家でもあった徳富蘇峰(本名猪一郎、1863~1957)が、近代日本におけるジョン・ラスキン受容の立役者の一人であったという事実は、今日あまり知られていない。1926年1月5日付の『国民新聞』に、蘇峰はこう書いている。予はラスキンの門弟にして、其の全集の編輯者たる、而して其の公式伝記の編著者たる、サー・エドワート・クックにも面会したことがある。而して米国新英州の緑陰岡に於て、ラスキンの親友にして、且つ彼によりて、其の遺言書執行者の一人に選定せられたる、ノルトン教授とも相知るを得た。且つ羅馬に於て、タイムス特派員スチルマン翁に面会したが、翁も亦たラスキンの知友にして、当時翁の予に興へたる随筆集中にも、ラスキンに関する一文が掲げてあった。 斯る訳合にて、予は少なくともラスキン周囲の、或る部分の人々を知るを得たるが故に、何となくラスキン其人に関しては、特に深き興趣を持つ様になったかと思ふ(注1)。19世紀イギリスを代表する美術批評家・社会思想家ジョン・ラスキン(John Ruskin, 1819-1900)に「特に深き興趣」を抱いていた蘇峰が、ヨーロッパ諸国とアメリカを歴訪したのは、1896年5月から翌年6月のことであった。この欧米視察については、杉井六郎『徳富蘇峰の研究』(1977年)が近代日本のキリスト教思想史の立場から主にヨーロッパ訪問について、澤田次郎『徳富蘇峰とアメリカ』(2011年)が近代日本の政治思想史の立場からアメリカ訪問について、十全に検証している。また、蘇峰宛の書簡から欧米周遊中に形成された人的ネットワークに光を当てた論考に、齋藤洋子「同志社社史資料センター所蔵 徳富蘇峰宛て『外国人名士書翰』─書翰にみる徳富蘇峰の欧米漫遊(同志社社史資料センター所蔵)」(2011年)がある。杉井は、蘇峰の初期の思想形成に影響を与えた書物として、ラスキンの著作・伝記を挙げ(注2)、またいずれの論者もC. E. ノートン、W. J. スティルマンとの交流に言及し、とりわけ澤田は、蘇峰の対米観の形成に影響を及ぼした人― 466 ―― 466 ―

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