George Allen, 1911.vols, Boston and New York: Houghton, Mifflin, 1905.〔図4〕ロス装で製本し、この書簡を付録として添えて販売したのである(注15)。しかしながら、蘇峰旧蔵のライブラリー版は赤のクロス装で、1912年の販売分とは異なる。したがって蘇峰は、この限定付録を別途入手し、蔵書コレクションに加えたと考えられる。なお、この自筆書簡は、ラスキンが滞在先のイングランド北部ボルトン・ブリッヂから書き送った1875年9月24日付のアレン宛書簡である。② E. T. Cook, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, 2 vols, New York: Macmillan; London: 蘇峰が「公式伝記」と評していたE. T. クックによるラスキンの伝記2巻本である。「蘇峰学人」による見返しの墨書きから、初刊の翌年1912年5月に入手していたことが分かる。索引に至るまで各所に書き込み(主に朱の下線)が見られ、相当に読み込んでいたことが窺われる。中表紙には「蘇叟九十五以後感得」の朱印が押され、新聞記事の切り抜きが2点挟み込まれていた。うち1点は1927年10月15日付の■■■■■■■■■■■■■■■■■誌の書評「ラスキン再訪(Ruskin Revisited)」、もう1点は1954年8月19日付の書評「ラスキン」(媒体名は不明)であった。つまり驚いたことに、蘇峰は晩年1954年の時点でもラスキン関連の記事を読んでいたことになる。この2点の書評の対象図書は、『近代画家論』の選集(A. J. Finberg abr. and ed., John Ruskin, ■■■■■■■■■■■■■■■, London: G. Bell & Sons, 1927.)と美術史家ジョーン・エヴァンスの伝記『ジョン・ラスキン』(1954年)であり、いずれの評者もラスキンの再評価の気運に言及している。蘇峰は、自身が日本の読者に紹介したラスキンの評価の変遷を見極めようとしていたのだろうか。③ C. E. Norton ed., John Ruskin, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, 2 ノートンが編纂した『ジョン・ラスキンからC. E. ノートンへの書簡集』である。〔図4〕のとおり和紙のカバーが掛けられ、背には墨書きで「ラスキン書翰」とある。第2巻の巻末の見返しには「明治三十八年四月二十五日接手 深井英五ら紐育より寄贈」「明治三十八年十一月十九夕天皇陛下伊勢大廟参拝、還幸の日青山草堂ニ於て一瞥読ス読ミ来りて感慨多シ 蘇峰学人識之」と書かれている。蘇峰の欧米視察に秘書として同行し、のちに日本銀行の総裁となる深井英五らがニューヨークから蘇峰に贈ったものであることが分かる。さらに裏表紙の見返しには、ノートン発蘇峰宛の絵はがきが挟み込まれていた。1907年12月17日にマサチューセッツ州ボストンから投函― 470 ―― 470 ―
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