されたクリスマスのメッセージカードで、表面は「霧のテムズ川」の写真である。蘇峰が1907年にノートンからクリスマスのカードを受け取っていた事実は知られていたが(注16)、本調査でその実物の所在と詳細が判明した。2.蘇峰と英米のラスキニアンとの交流(1)C. E. ノートン─ハーヴァード大学美術史学教授1897年5月26日、蘇峰はボストン近郊のノートン邸を訪ね、深井とともにノートンその人に面会した(注17)。本稿冒頭の引用にある「緑陰岡」とは、この自邸の愛称“shady hill”の訳語である。この日のわずか1時間ばかりの対面をきっかけに、蘇峰とノートンの交流は、1908年にノートンが亡くなるまで続いた。① ハーヴァード大学ホートン・ライブラリー蔵 蘇峰発ノートン宛書簡蘇峰と深井の連名でノートンに贈られたグリーティングカード3点である〔図5〕(注18)。封筒の消印は各1897年12月23日、1898年12月24日、1900年1月2日で、いずれも東京から投函されている。文面はクリスマスと新年の挨拶のみのシンプルなものだが、1897年のカードの裏面には「『国民之友』の挿絵画家が特別に描いたものです」とあり、3点とも水彩で花の挿絵が描かれている。2点目、3点目には「敬方」と「古香」の落款が見える。画家の特定には至っていないが、川端玉章の弟子の竹田敬方(1873~1942)と久保田米僊の弟子の丸山古香(1873~1928)の可能性がある。② ボストン・アシニアム蔵 邦訳書『エマルソンの書簡』(1901年、民友社)と原書C. E. Norton ed, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■1838-1853 (Boston: Houghton, Mifflin, 1899)および蘇峰発ノートン宛書簡の合冊〔図6〕本調査で新たに見つかった資料の中でも、蘇峰と英米を代表するラスキニアンとの深い交流の証しが、この一冊の書物である。先行研究にあるとおり、ノートンは自身が編纂した『ラルフ・ウォルドー・エマソンから友人への書簡集(1838~1853年)』の原書(注19)を蘇峰に贈った。エマソンの愛読者でもあった蘇峰は、その邦訳書(注20)を民友社から刊行し、ノートンに返礼として献呈した。それを受け取ったノートンは、エマソンが手紙を宛てた当の友人すなわち詩人のサミュエル・グレイ・ウォード(Samuel Gray Ward, 1817-1907)にその邦訳書と蘇峰からの手紙を送った。ウォードからノートンへの返信は、1901年10月20日付のノートン発蘇峰宛書簡(徳富蘇峰記念館蔵)の中で、その一部が蘇峰にも伝えられていた(注21)。― 471 ―― 471 ―
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