鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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掲載されている(注25)。古来の日本美術の特質を高く評価し、西洋美術の模倣を諫める内容である。本調査で対象とした3人の英米のラスキニアンのうち、蘇峰宛ての手紙の中で美術について多くを語っているのは、このスティルマンである。1897年2月23日付のスティルマン発書簡(同志社社史資料センター蔵)によれば、蘇峰はスティルマンに、日本の寺の写真複数枚と、一匹のリスとぶどうの蔓が描かれた日本の画家の手になる素描を贈っていた。その返礼であるこの書簡の中で、スティルマンは「日本の新しい印象派の絵画(the new Japanese impressionist painting)」や「古い流派の素描(the old school of drawing)」について語っている。また同年3月18日付の手紙(徳富蘇峰記念館蔵)では、森祖仙(1747~1821)の画の落款について尋ねている。さらに娘のリサも、同年3月12日付の手紙(同志社社史資料センター蔵)の中で、蘇峰がプレゼントした絵画作品の中でも牡鹿を描いた日本の画家の名を尋ねている。これらの絵画・写真の所在と詳細については、今後の課題であり、スティルマンの日本絵画観についても別稿に譲りたい。(3)E. T. クック─ラスキン全集ライブラリー版の編者現時点でクックとの交流を裏付けるものは、同志社社史資料センター蔵のクック発蘇峰宛書簡(1897年2月26日付)のみである。当時クックが勤務していたロンドンのデイリー・ニューズ社の封筒に、蘇峰への返信が綴られた1頁の手紙が収められている。内容は、いつでも社を訪ねてくれれば喜んでお目にかかるので、忙しくなる夕方を避けて、午前か午後早いうちに来てほしいこと、もし席を外していた場合は、主筆のジョン・ロビンソン(John Richard Robinson, 1828-1903)に尋ねてほしいことの2点であった。残念ながらオックスフォード大学ウェストン・ライブラリー蔵のクックの日記(注27)には、蘇峰に関する記述は見られなかった。おわりに蘇峰と英米を代表するラスキニアンとの交流を今日に伝える新出資料として、蘇峰発ノートン宛書簡(ボストン・アシニアム蔵)、ノートン発蘇峰宛クリスマスカード(同志社徳富文庫蔵)、ノートン編の原書と民友社刊の訳書との合本(ボストン・アシニアム蔵)、蘇峰旧蔵書中のクック編ラスキン全集や伝記(同志社徳富文庫蔵)等が見つかった。また世界的にも現存例の少ない、ラスキン全集ライブラリー版の1912年限定付録や、ラスキンの再評価に関わる書評の切り抜き等、蘇峰の長期にわたるラスキンへの関心の高さを裏付ける資料にも出会えた。一方、本調査では、蘇峰と3人の― 473 ―― 473 ―

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