鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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部や、五代の四川省重慶市大足北山石窟の第273号龕「千手観音倚像」〔図2〕の頭部は本像と同様に頬の張った下膨れの顔をしており、とりわけ後者の千手観音は、微笑を湛えた口と鼻との距離が近くやや幼い顔立ちであるという点でも本像と類似する。本像は『仏祖統紀』等文献記録に示される北宋初期という制作年代と近接する時代における、四川地域の様式を汲む像容であると考えられる。四川地域の石窟には毘盧遮那・文殊菩薩・普賢菩薩からなる華厳三聖像が多く刻されており、なかには南宋時代に制作された化仏のある普賢を含む三聖像が確認できる。大足の宝頂山石窟は大足出身の趙智鳳が密教道場として創始したもので、石仏群は南宋時代の淳煕6年(1179)から淳祐9年(1249)にわたって制作された。なかでも「華厳三聖立像」は像高8メートルの巨大なもので、その普賢像は手に舎利宝塔を持ち、七体の化仏のある宝冠を戴く。また同石窟の仏祖巌華厳三聖龕における「普賢菩薩像」〔図3〕は半身像ながら像高3.6メートルに達する三聖像のうちの一体で、頭部の宝冠には正面中央に一体の化仏が配される。普賢は左手に如意を執り、腹前で仰掌する。また、安岳石窟華厳洞にある像高5.2メートルの華厳三聖像は、同じく南宋時代に造像されたとみられるもので、そのうちの「普賢菩薩像」の宝冠には一体の化仏が表されている。普賢は白象上の蓮台に半跏で坐し、迦葉を持物としているようにも見える。ここで挙げた四川地域の石窟における巨大な普賢像の宝冠の装飾表現は、いずれも輪状に蔓を巻いた唐草を左右対称に並べて構成される点で共通する。しかし七仏と一仏といったように、化仏の数は異なっている。南宋時代の作とみられる「普賢菩薩像」(クリーヴランド美術館蔵)〔図4〕は、白象の上の蓮台に坐した普賢菩薩の着彩画像である。斜めを向く普賢の頭上には壮麗な宝冠があり、正面に一体、脇に二体の朱衣の化仏が坐す。おそらく反対側にも二体の化仏があると考えられ、五仏宝冠を表すものとみてよいだろう。宝冠上部には等間隔に摘まみあげたような尖形の先に宝珠が配されている。普賢は経冊を載せた蓮華の茎を左手で捧持し、右手の掌で茎の下端を支えている。持物や着衣の点では黒水城出土の西夏の「普賢菩薩像」(エルミタージュ美術館蔵)と共通するが、その宝冠に化仏は表されていない。クリーヴランド美術館の所蔵する本作は顔料の剥落が多いものの、繊細な線描や端正な面貌、全体に多用される中間色による上品な彩色といった、南宋時代の諸作例に共通する特徴が看取される。また、やや吊り上がった眉や手元の仕草より、南宋から元時代の作とされる「阿弥陀三尊像」(香雪美術館蔵)に近いことも指摘できよう。元時代の制作とされる「普賢菩薩像」(岡山・木山寺蔵)〔図5〕は、白象の上に坐― 481 ―― 481 ―

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