した普賢菩薩が絹本に白描金彩で表された作例である。普賢は白象上の蓮華座に坐し、右手に湧出した雲気と経冊を載せた蓮華を執り、左手を添えている。普賢の頭上には上述の「普賢菩薩像」(クリーヴランド美術館蔵)と形状を異にする、髻を覆うように意匠の凝らされた宝冠があり、その正面には蓮台に坐した一体の化仏が小さく表される。普賢は鰭袖や肩当を着用している。本作とほぼ同図様の作例として鎌倉時代13世紀の制作とされる「普賢菩薩像」(東京国立博物館蔵)があり、こうした図様が日本においても写され広まったことが知られる。本作の表現は金彩を用いた白描画法であり、線質は全体に肥瘦が少ないが、墨の濃淡の使い分けにより立体感や強弱が与えられ、幽玄な印象を全体に漂わせている。図様としては、顔貌の絹片に部分的な剥落や位置のずれが生じており、当初の表情は損なわれてしまっていることが惜しまれるが、本作と類似する表現は金時代の馬雲卿による紙本墨画の「維摩演教図」(北京・故宮博物院蔵)〔図6〕の文殊に見出すことができる。北京故宮本の文殊の顔はやや下膨れだが、木山寺本とは宝冠における連珠や蓮華状の装飾のほか、目を二本の弧の間に淡墨と濃墨の輪郭で表す描き方が類似する。木山寺本の制作年代としては、宝冠や装飾の部分を北京故宮本と比較すると木山寺本では写し崩れが進んでいることからも、元時代14世紀頃とみておきたい。南宋から元時代の制作とみられる「釈迦諸尊集会図」(滋賀・成菩提院蔵)〔図7〕は、釈迦三尊、十大弟子、梵天、帝釈天が、画面上方から下方に向かって配された画像である。下部中央には「南無大乗妙法蓮華経」と記された宝幢が置かれる。画面左下には「大宋供進畫士李□筆」との墨書がある。本作の普賢菩薩は七仏宝冠を戴き、経冊を載せた蓮華を執る。その服制は、肩当や鰭袖を着用する点で木山寺本と共通している。しかしながら、宝冠の化仏が七体である点や、白象頭部の紅色の宝殊から赤い雲気が涌出し、その雲上に三名の胡人が描かれている点、白象の咥える蓮華から釈迦像が化現しているなどの点で異なっている。浙江省杭州市の霊隠寺飛来峰には、壁龕の中に彫られた元時代至元27年(1290)銘の「普賢菩薩像」〔図8〕がある。独尊像であり、その宝冠には一体の化仏が表されている。普賢菩薩は半跏踏み下げで象の背に坐し、右手は胸の位置で立て、左手は仰掌し、右手近くの壁には一本の花枝が陽刻されている(こうした蓮華の持ち方はチベット式といえる)。本像は銘文から、平江路(現在の蘇州)で僧判を務めた人物が福禄寿命を祈って造像したことが知られる。以上のように、化仏のある宝冠を戴く普賢菩薩の図像は五代以降確認することができ、華厳三聖を除けばほぼ騎象像であり、独尊像の場合も多く、宝冠の化仏の数は一― 482 ―― 482 ―
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