鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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注⑴ 山野英嗣「日本の「芸術と広告」─1920年・30年代の動向を中心に」セゾン美術館ほか編⑵ 紙幅の都合上「企業内工房」の詳細の検討は割愛した。デザイン史ではないが、製菓会社のPR誌の先行研究には次の文献がある。平岡弘子「企業と絵本」鳥越信編『はじめて学ぶ日本の絵本史II─15年戦争下の絵本』ミネルヴァ書房、2002年。酒井晶代「南部新一と森永製菓─昭和初期における製菓会社の児童文化戦略をめぐって」『大阪国際児童文学振興財団研究紀要』27、2014、15-31頁。酒井晶代「森永製菓の児童文化関連事業─昭和初期の状況・池田文痴菴文庫を手がかりとして」『愛知淑徳大学論集メディアプロデュース学部篇』5、2015年、17-32頁。酒井晶代「雑誌『漫画学校』解題と細目」『児童文学論叢』19、2015年、27-43頁。⑶ 佐藤卓己「「プロパガンダの世紀」と広報学の射程」津金澤聡廣・佐藤卓己責任編集『広報・広告・プロパガンダ』ミネルヴァ書房、2003年、2-27頁。佐藤の論考をふまえて、本稿では、「宣画フィルムを模したモンタージュの配置をとる。童話の頁には、童画家・武井武雄による電車ごっこをするベレー帽やブーツを身に付けた洋装姿の子どもたちのカットが配される。このように、最新の写真や挿絵の動向もふまえたデザインの工夫がみられる。このように、明治製菓の『スヰート』も、森永製菓の『森永月報』と同様に、社内報を兼ねたハウスオーガンの役割をもつ雑誌として刊行され、清新な趣味の頁が意図的に盛り込まれた。この文芸色の強い趣味の頁の挿入は、『森永月報』よりも際立った特徴と解することができ、PR誌において、差異のある企業イメージの形成に努めたことがうかがえよう。おわりに以上、森永製菓と明治製菓の初期のPR誌を中心に、製菓会社のPR誌をデザイン史の観点から検討するための基礎的事項を整理した。二社において、販路拡大に伴い、宣伝戦略の統一化を図ろうとしたことを背景にPR誌が刊行されたと考えられること、PR誌の先駆であった三越と同様に、統一的な企業イメージの形成の一助として、製菓会社のPR誌の刊行があったと考えられることを指摘した。1930年代前半には、二社ともに、児童文化や少女文化、映画文化など、大衆の趣味に関連づけた宣伝戦略を次々と仕掛けることになる。それは、30年代にみる森永のPR誌が消費者向けの社外報へと転じたことにも現れていよう。1920年代の『森永月報』と『スヰート』は、製菓会社がこうした大衆の趣味を集約することで、企業イメージを形成しようとする試みの端緒に位置づけられるように思われる。『芸術と広告』朝日新聞社、1991年、386-405頁。― 496 ―― 496 ―

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