① 大正期のオーブリー・ビアズリー受容に関する基礎的研究─雑誌『女性』の山六郎・山名文夫によるカットを中心に─研 究 者:清泉女子大学大学院 人文科学研究科 博士課程 佐 伯 百々子はじめに19世紀末にイギリスで活躍した挿絵画家オーブリー・ビアズリー(1872-1898年)の作品は、明治末期に初めて日本で紹介され、大正期にかけて多くの芸術家達に影響を与えた。ビアズリーのペンによる繊細な線描と大胆な構図を用いた表現方法は、新しい時代の到来を告げるかのように、挿絵や装丁に新しい風を吹き込んだ。それまでの挿絵や装丁は、日本画や浮世絵といった江戸時代以来のデザインが用いられていたが、ビアズリーをはじめとする西洋のイラストレーションの流入により、新たな画風が確立されていった。本稿では、大正11年(1922)に創刊された雑誌『女性』の挿絵を手がけた二人の中心人物である山六郎(1897-1982)と山名文夫(1897-1980)におけるビアズリー受容について検証する。『女性』に関する先行研究としては、雑誌そのものに焦点を当てた研究として『モダニズム出版社の光芒』(淡光社、2000年)が中心的なものとして挙げられる。本書では、山・山名の手掛けた『女性』の表紙における19世紀フランスのファッション・プレートからの影響について子細に検討がなされているが、誌面に挿入されたカットについてはあまり言及されておらず、また、ビアズリーからの影響については限定的なものであると述べている(注1)。しかしながら、『女性』に掲載された山・山名のカットには、その筆致や模様の描き方など、細部にわたりビアズリーからの影響を受けたと考えられる部分が多数確認できる。本稿では、『女性』誌面における山と山名のカットについて、ビアズリーの作品との比較を行ない、彼らのビアズリー受容の特徴について検証する(注2)。1.大正期のビアズリー受容作品の比較に入る前に、『女性』が創刊された当時の日本におけるビアズリー受容の様相を概観する。日本でビアズリーの作品が初めて紹介されたのは、明治43年(1910)の『白樺』に掲載された柳宗悦の記事である。「そのころの文学青年なら武者小路実篤らが出して― 501 ―― 501 ―3.2018年度助成
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