された白樺派主催の展覧会で西洋の名だたる画家たちの複製作品とともに、ビアズリーの複製作品も展示され、大きな話題となった(注15)。また、ビアズリーの画集や彼の挿絵が収録された書籍は、洋書を扱う大手書店などで輸入・販売され、大正10年代にはすでにさまざまな場所でビアズリー作品の複製を目にすることができたと考えられる。山名文夫は、和歌山中学校を卒業後、画家を目指して大阪の赤松麟作洋画研究所に通い、絵を学んだ。大正12年(1923)にプラトン社に入社後は、ひたすら山の画風を真似たという。山名のビアズリーとの出会いは、前述のとおり中学時代、そして赤松麟作洋画研究所時代であった。山名の作品からは、一見してビアズリーからの影響であると判断できるものはあまり多くないが、エッセンスとして作品のなかに手法の一部を取り入れている。山名自身の言葉を鵜呑みにすべきではないが、ビアズリー作品から影響を受けた部分はありつつも「あのおそろしい内面に迫るでもなく、その皮相のまねごとでありました(注16)」と述べている。実際、ビアズリーや山の作品と比較すると、両者に通じる暗さが山名の作品からは抜け落ち、軽やかで明るい印象を受ける。3.『女性』のカットとビアズリー作品の比較『女性』に掲載された山・山名両者の挿絵から、ビアズリーの作品と共通する特徴を持つものについて、比較・検討を行う。ビアズリーの作品から影響を受けたと考えられる特徴として、以下の6点を挙げることができる。・点線による凹凸の表現・曲線の多用・背景の塗りつぶし・雲(鱗)状の模様・線の省略・『■■■■■■■■金言集』(1893年)の人物像からの影響・点線による凹凸の表現ビアズリー作品の特徴のひとつで、人体の筋肉の隆起や人物の顔の皺や凹凸、瞼の膨らみなどを実線や陰影ではなく、点線で表現する手法である。この表現方法は『サロメ』(1893年)をはじめ、ビアズリーの初期から晩年にいたるまで、多くの作品で用いられている。― 504 ―― 504 ―
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