鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
52/549

注⑴ 金子一夫『近代日本美術教育の研究 明治時代』中央公論美術出版、1992年。⑵ 東京芸術大学百年史編集委員会編『東京芸術大学百年史』(1987-2003年)や『東京美術学校の風景をよく描き、晩年はカミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot、1796-1875)の伝記を翻訳する日々を送った(注30)。おわりに佐藤醇吉の画業を学術分野に関わる仕事を中心に辿っていくと、洋画の師である松岡壽との関わりをはじめ、東大植物学教室勤務の頃に知遇を得た植物学者、同じく東大理学部の職員であった民族学者との交流が、佐藤が大学を離れた後にも続いていた様子を垣間見ることができる。大正4年(1915)10月30日には小石川植物園において、佐藤の東大在職中に教授兼園長であった植物学者・松村任三の在職満25年記念祝賀会が開催されており(注31)、佐藤の師の松岡壽が松村任三の肖像画を描いている(注32)。松岡が残した「揮毫控」(注33)には「松村任三博士像在職二十五年祝賀会代表藤井博士依頼」とあることから、松村任三の在職25年を祝して、植物学者・藤井健次郎が松岡壽に肖像画を依頼したということになる。松村任三肖像画の制作に、佐藤が何らかの関与をしたかは不明であるものの、藤井や松村といった学者と、松岡や佐藤ら美術家との間に人的交流が形成されていた可能性は考えられるだろう。明治大正期の学者と美術家との交流について今後さらに検討を重ねていくとともに、本研究課題の調査過程で初めて閲覧の機会を得た佐藤醇吉筆の遺跡・遺物スケッチについては稿をあらためて論じたいと考えている。謝辞本研究課題の調査過程で多くの皆様のご助力を賜りましたことを心より御礼申し上げます。東京美術学校卒業生の巽一太郎を調べる過程では平田健氏(東京都教育委員会)、甲田篤郎氏(帝京大学総合博物館)、小林未央子氏(豊島区立郷土資料館)よりご助言を頂きました。佐藤醇吉に関連する資料の調査では、一関市立大東図書館ならびに徳島県立鳥居龍蔵記念館において貴重な資料を熟覧する機会を頂きました。徳島県立鳥居龍蔵記念博物館の下田順一氏には、大正期の鳥居龍蔵による遺跡調査や佐藤醇吉のスケッチ類、鳥居龍蔵と佐藤醇吉との交流等に関して貴重なご助言・ご指摘を賜りました。ここに記して深く御礼申し上げます。― 43 ―― 43 ―

元のページ  ../index.html#52

このブックを見る