鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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ニックとも呼ばれる画面の造形に密着した主題解釈の方法を広めたいこと、そして日本でのその反応に出会いたいということに要約される。報告者は、2018年に国際シンポジウム『ハート形のイメージ世界:見えるものと見えないもの』を実施し、2021年に予稿集から発展させた同名の編著を晃洋書房から出版したばかりだった。バート氏著作の邦訳はすでに手がけていたが、「見えるものと見えないもの」に関連する新たなテーマとしてシンポジウムに取り組むことにした。バート氏の著述の根底にあるのは、原初の創造的力が風であったこと、その風を意味したルーアハ(ヘブライ語)がプネウマ(ギリシア語)へと言語的に翻訳される過程で意味が変化していき、風という自然的力の意味が薄れ、キリスト教圏ではスピリトゥス、そして日本でも、目に見えない神意を伝える霊と訳されていること。しかしながら、さまざまな造形に痕跡をとどめる風を改めて取りだし解釈することで、従来なかった、あるいは抑えられていた意味の世界、すなわち、世界の新たな見方を探ることができないかというメッセージである。風は世界に偏在する存在でありながら、それは造形・言語・音楽・ダンスなど目に見えるものに痕跡をとどめるほかない。バート氏はキリスト教圏のみならず、風の原初性を求めて他の文化圏でも文化人類学的美術史の方法を試みようとする。そうした中、世界の文化の中でも、あらゆる生命の源に「気」を認める中国文化圏、その表れを他に類例がないほど多彩な表現で捉えた日本文化ほど、バート氏にとって気がかりなものはなかったのではないかと思われる。したがって本シンポジウムは、いわばバート氏が投げたボールを打ち返すべく設定され、シンポジウムが投げたボールをさらに打ち返す視聴者や新たな研究者の登場を期待した、キャッチボールの一環をなすものである風が極めて有効な学際的テーマでありうるのは、本シンポジウムの共催団体である関西大学東西学術研究所風景表象研究班の主幹研究員・野閒晴雄氏が、開会の挨拶において、専門の歴史地理学の立場から短く論じた、風が作る風景の議論からも証明される。風はあまりにありふれているので、従来は人文学の本格的な議論の対象にならなかったが、本シンポジウムはこのテーマがはらむ豊かさを、学際的な学術界に「提案した」といえる。② 報告者の構成上述のようなテーマ設定の元でシンポジウムを構成するために、異なる地域の研究者がもっとも集いやすい時間帯で2日間にわたって、最終的には12名の報告者の登壇― 534 ―― 534 ―

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