鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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で準備することにした。1日目(3月26日)は総論的、2日目(3月27日)は各論的な内容の発表を、東洋と西洋のものを組み合わせて、比較可能な構成にした。セッションAでは、風のイメージ世界への導入として、総論的な問題が扱われた。バート氏がはじめに論じた原初的な風の力は、その後の展開の基礎をなすものである。これに対して青木孝夫氏(広島大学名誉教授)は東アジア、とくに日本の風の美学を、世阿弥を手がかりに展開した。宮嶋龍太郎氏(東京藝術大学博士課程、アニメーション作家)は当初の予定になかったが、諸般の事情から登壇を依頼した。猛威を振るう暴風雪の中を突き進む短波のイメージは、アニメーションという技法とともに、世界を架橋する風の近代へとシンポジウムの方向を定めた。セッションBでは、風の近代であると同時に、風の根源に関する現代的な問題が展開された。富岡進一氏(郡山市立美術館主任学芸員)は、バート氏がそのプネウマを扱ったレオナルドと同じく、ターナーもまた現実的存在の風をプネウマ的形態として観照していることを指摘し、ここに成立した風の詩学を論じた。フラッド・イオネスク氏(ハッセルト大学准教授)は、プネウマを主題として、イメージ体を現象学的に説明することを試み、プネウマが芸術の歴史を通じて、いかにイメージの経験や意味を変質させてきたかを論じた。ハセーブ・アメド氏(現代アーティスト)は、風が生命体を生成するという古くからの観念に基づき、風の特性を科学技術的に研究する風トンネル装置を用いた自身の「風-卵」アート・プロジェクトのコンセプトを論じた。2日目のセッションCでは、西洋の近代絵画に描かれた風について、日欧の研究者が報告した。蜷川順子は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの磔刑図で風に舞い上がるイエスの腰布が多数描かれ始めたのは、東西教会の再統合が議論された時期の文芸復興の一環として、霊(スピリトゥス)が風(プネウマ)と意識され始めたためだと指摘した。倉持充希氏(神戸学院大学講師)は、風琴やなびくヴェールなど、多様な風の表現を試みたニコラ・プッサンの作品における風の効果を分析し、17世紀美術における風のイメージへの関心に光を当てた。ソムヘギ・ゾルタン氏(カロリ・ガスパール改革教会大学准教授)は、哲学的示唆に富むニコラ・プッサンの画面に加えて、崇高についての言説と結びつけられる18世紀から19世紀にかけての風の表象、およびそれが変化する現代美術を扱い、時代ごとの焦点の移り変わりとその影響について考察した。セッションDでは、東洋の美術に描かれた風について報告がなされた。諸般の事情により発表順が変更され、最初に水野さや氏(金沢美術工芸大学教授)が風という自― 535 ―― 535 ―

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