ンドグラス制作を本業とする一方、出版社を訪ね歩いて挿絵画家としての仕事も得た。1916年にロンドンの出版社ジョージ・ハラップ社から出版された『アンデルセン童話』が挿絵画家としては最初の刊行物であるが、それ以前にクラークのパトロンのローレンス・ウォルドロンの依頼で私家版の『髪盗み』の挿絵を制作している。クラークはウォルドロンの下で様々な美術品に触れる機会を得ており、そこにビアズリーによる挿絵本もあったと推測される。クラークの『髪盗み』は、白と黒のマッスで構成されており明らかにビアズリーを意識したものとなっている〔図3〕。クラークは先行研究でビアズリーの影響が指摘され、近年の展覧会においてもビアズリーの追随者として紹介されている(注10)。しかし、詳細な比較による分析は見られず、前述のとおり白と黒のマッス、退廃的な雰囲気の一致という印象の類似が指摘されるに留まっている。クラークがビアズリーから受けた影響とクラーク自身の独自性について『アンデルセン童話』を例に指摘したい。『アンデルセン童話』には、ビアズリーの『サロメ』や『髪盗み』に見られる表現が明らかに借用されている。クラークの「マッチ売りの少女」の挿絵と、ビアズリーの『サロメ』の《クライマックス》の挿絵を比較すると、黒いベタ塗りの部分に施された毛のような線〔図4〕が一致している。またクラークの「大クラウスと小クラウス」〔図5〕の挿絵と、ビアズリーの『髪盗み』の挿絵〔図2〕を比較してみても、点描による薄い生地の表現が一致しており、黒地の衣服のドレープをあらわす点線も晩年のビアズリーに見られる表現であり、クラークがビアズリーから描法を借用していることがわかる。クラークは本業のステンドグラス制作で下絵を描く際には、ガラス同士をつなぐ鉛線によって区切られたデザインを基本とするため、簡潔な線描による挿絵の制作においてはビアズリーに多くを学んでいると考えられる。その一方で、ステンドグラスの制作方法の応用にまたクラーク自身の独自性も見出すことができる。ビアズリーの挿絵においては登場人物同士の対話やコミュニケーションが見られるのに対し、クラークが描く人物像は動きが少なく正面観で描かれたものが多くみられる〔図6〕。これは『アンデルセン童話』と同時期に制作していたホーナン礼拝堂のステンドグラスにおける礼拝像と一致しており、ステンドグラスを飾る人物像の下絵を応用したものとみられる(注11)。また、ビアズリーが白地に黒いベタ塗りやハッチングで画面を構成するのに対し、クラークは黒地に白い面をとって対象を浮かび上がらせる反対の手法をとっているのが特徴的で、これは外光を透過させることで対象をあらわすステンドグラスの特質と重なる〔図7〕。クラークはビアズリーが用いた点描等の表現を借用しながらも、自身のステンドグラス制作の手法― 49 ―― 49 ―
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