鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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注⑴ 伊藤紫織「真景図のつくられ方」 板倉聖哲・高岸輝編『日本美術のつくられ方─佐藤康宏先⑼ 前掲注⑴論文、355~359頁で紹介した例はほぼ、画中に「**真景」とあって「**真景図」⑵ 前掲注⑴論文、356頁。⑶ 前掲注⑴論文、356頁。⑷ 中野三敏『近世新碕人伝』毎日新聞社、1977年、101~102頁。⑸ 前掲注⑷書、104~106頁、1977年。⑹ 佐藤康宏「池大雅筆 比叡山真景図」 『國華』1380号、2010年。⑺ 小林優子「池大雅筆『浅間山真景図』について」 『美術史』134号、1993年、註8。⑻ 武田光一「高芙蓉と『菡萏居箚記』」 『國華』1032号、1980年。「題浅間嶽真景」については、⑽ 須藤茂樹『近世阿波美術史探訪』徳島県教育印刷株式会社、2020年、85頁。⑾ 桑山童奈「錦絵作品名に見る『真景』の意義」 『日本美術の空間と形式─河合正朝教授還暦記⑿ 松島を描いた絵図の収集、研究が進んでいることも理由である。中西僚太郎「第四章 明治・大正期の松島を描いた鳥瞰図」 中西僚太郎・関戸明子編『近代日本の視覚的経験─絵地図と古写真の世界─』ナカニシヤ出版、2008年、63~80頁では「松島真景図」という用語まで使われている。『松島への足跡─白鴎楼文庫を中心に─』展図録、瑞巌寺、2006年にも多く紹介さ風画の「真景的描法」、鳥瞰図的「真景的構図」を兼ね備え、題箋も墨書もなくとも真景図と呼ばれそうな作品である。おわりに以上、収集できた真景の例を真景の語に注目して見てきた。「2 真景の諸相」で紹介した例をみても画中に題として記されるのは基本的に「真景」であった。A1群だけでも宝暦9年から昭和7年という年代的な広がりがあり、浮世絵の風景版画、絵図、地図まで真景と題されている。落語「真景累ヶ淵」 は三遊亭圓朝が安政6年に作った「累ヶ淵後日怪談」に漢学者信夫恕軒が文明開化の世の中に合わせ、神経にかけて真景と付したとされるが(注33)、幕末から明治期の浮世絵版画の題や明治期の絵図の題に真景が多くみられ、「真景」の語が広まっていたことと符合する。真景と題された図の「真景的構図」「真景的描法」といった特徴をもって、実景を題材にした、画中に真景とは題されない図が「真景図」と呼ばれるようになる仕組みが見えてきたが、これについてはB群、特にB2群の例を追加して、今後検討を続けたい。生の退職によせて』羽鳥書店、2020年、347~348頁。武田光一「研究資料 公刊『菡萏居箚記』(抄) 下」 『國華』1034号、1980年。と呼ばれる。念論文集』、河合正朝教授還暦記念論文集刊行会、2003年。― 64 ―― 64 ―

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