鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
74/549

⒄ 同上 Ⅱ-345(121頁)・Ⅱ-613(133頁)・Ⅱ-997(148頁)。「玉川真景彫刻」の「真景」は山水の透かし彫り、山水の肉彫りの「山水」と同義か。目録の表記からは山内帯岳が自作を出品したことになるが、寛政7年(1795)の出来事を実見した作品を明治10年に本人が出品する可能性は低く、実体験とは関係なく真景の語が用いられているのだろう。 前掲注⒂関戸論文参照。 山田志乃布「第一章 描かれた植民都市─近代札幌の『風景』」、前掲注⑿中西・関戸編著 参 白石恵理「開拓使の絵師・船越長善とその作品について」(北海道大学文学研究科『北海道大学農学部博物館の絵画─博物画・風景画・アイヌ絵・洋画』、2001年)参照。寄贈者は長善のご子孫とのこと。⒀ 大正12年8月発行までは前掲注⑿中西論文、表2「松島真景図の概要」 65頁。明治21年9月発行「松島真景全図」の発行者大宮司善五郎は松島海岸の旅館観月楼の主人で、雅之輔の養父にあたる。昭和3年4月5日刊「松島真景全図」については前掲注⑿瑞巌寺図録、図118、61頁。⒁ 前掲注⑿瑞巌寺図録、図105、57頁。⒂ 「宇都宮市真景図」については、金井忠夫「那須野が原博物館収蔵の銅版画─明治期銅版画の制作過程─」 『那須野が原博物館紀要』14号、2018年参照。「前橋市真景図」については、関戸明子「第五章 明治四三年の群馬県主催連合共進会と前橋市真景図」、前掲注⑿中西・関戸編書 参照。「大和長谷寺真景図」については、三木理史「colmun2 奈良絵図屋にみる地図出版の近世・近代」、前掲注⑿中西・関戸編書参照。⒃ 東京国立文化財研究所編『内国勧業博覧会美術品出品目録』中央公論美術出版、1996年、I-⒅ 同上 II-1970(187頁)。⒆ 古田亮氏のご教示による。⒇ 『高橋由一油画資料』32(青木茂編『明治洋画資料 記録篇』中央公論美術出版、1986年) 52 郡山市立美術館編『亀井竹二郎 石版『懐古東海道五十三驛真景』油彩原画『懐古東海道五十三驛真景』』、1997年参照。広告文は「此真景ハ」で各段落が始まり、原画を真景と呼んでいる。 齋藤里香「盛岡藩士船越長善(月江)の足跡」『岩手県立博物館研究報告』第33号、2016年  前掲注、山田論文参照。 伊藤紫織「王欽古と真景」 佐野市立吉澤記念美術館編『王欽古─京から来て、佐野に住んだ南画家-』展図録、佐野市立吉澤記念美術館、2022年。王欽古の署名がない図(東京国立博物館)も存在する。鶴岡明美「国立公文書館蔵『新編武蔵風土記』挿図についての考察(三)」『人間文化創成科学論叢』第10巻、2007年参照。 末武さとみ氏の調査により、農業用水、通船両方で見沼代用水と深く関わる上平野村の篠崎源 斉藤全人「石脳遊産地之真景 児玉果亭」解説、宮内庁三の丸尚蔵館編『名所絵から風景画へれる。なお白鴎楼文庫は大宮司雅之輔のコレクションを株式会社大宮司(旧大宮司合資会社)が瑞巌寺に寄贈した。779(60頁)・I-1864(102頁)。~53頁。照。参照。右衛門家に王欽古が滞在していたことが判明している。同上伊藤論文参照。─情景との対話』公益財団法人菊葉文化協会、2017年、55頁。― 65 ―― 65 ―

元のページ  ../index.html#74

このブックを見る