(1513年頃執筆、1532年刊行)等においてアキレウスを教育するケイロンが王子の指導者の範例として示唆されていることから、この図像が慣習的に王子の教育の原型として捉えられてきたことを示し、《アキレウスの教育》に当時の王太子の姿を読み取っている(注16)。連作〈アルテミシアの物語〉における「若き王の教育」の主題としては、馬術だけでなく剣術や水泳、狩猟なども取り上げられており、タピスリーの製織段階というよりは、すでにソネットと素描が制作される時点で、《アキレウスの教育》が意識されていたとも考えられる。《馬術の訓練》のタピスリーはカロンによる素描から大きな変更がなされていないことからも、カトリーヌ時代と同様のメッセージを包含するものとして織り上げられた可能性が高い。ゆえに、タピスリーにおけるリュグダミスには、製織当時の王太子ルイの姿が投影されていたのでないか、という仮説が浮かび上がる。この点に関して、1601年9月27日にアンリ4世とマリー・ド・メディシスの間に王位継承者が誕生したことを祝して製作されたメダル〔図8〕の存在を指摘したい(注17)。本メダルにおいては、テティスが息子アキレウスの踵を掴み、ステュクス川に彼を浸して不死身にしたというエピソードが描写されているが、テティスの姿はその髪型からも、マリーの肖像であると判断できる。つまり本メダルでは、王太子ルイはアキレウス、マリーはその母テティスとして描かれている。また、トゥッサン・デュブルイユも同主題の素描〔図9〕を残しており、同じくルイをアキレウス、マリーをテティスになぞらえている(注18)。これらの作品は、当時、王太子ルイをアキレウスとして描くという構図がひとつの典型として浸透していたという事実を示唆している。《馬術の訓練》〔図1〕に立ち戻ると、その画面左には、《アキレウスの教育》には登場しない、息子を見守る母親が描かれている。さらに、改めて素描〔図2〕と比較すると、デザインは概ね正確に引き継がれているものの、画面右のヘラクレス像の変更点を看取することができる。その視線は、素描では上方に向けられているのに対し、タピスリーではこちらを真っ直ぐに見据えており、その黄金の色遣いとも相まって、画面において一層存在感を放っている。ヘラクレスには歴代のフランス国王、特にアンリ4世がしばしば重ねられたことを考え合わせれば(注19)、本場面は王太子ルイの教育を描いたものであり、その様子を一方では王妃マリーが、もう一方では国王アンリ4世が見守っている構図を示していると理解できるのではなかろうか。連作〈アルテミシアの物語〉の製織プロジェクトの開始は、アンリ4世がマリー・― 83 ―― 83 ―
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