鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
93/549

注⑴ D. Cordellier, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■, cat. exp., Paris‒Milan, 2010.⑵ 近年の展覧会カタログや研究書においても、議論の中心は素描や建築、肖像画等で、タピスリーに焦点を当てた研究はほとんどなされていない。F. Barbe et al., ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, cat. exp., Paris, 2010 ; C. Nativel (dir.), ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Tours‒Rennes, 2016.ド・メディシスと再婚した1600年頃であった。さらに第一エディションの製作が進行中であった1601年には、待望の世継ぎルイが誕生する。こうした王室における最大級の慶事を背景に古い企画が復活したこと、加えて「若き国王の教育」の関連主題についてはルイが6歳を迎えた頃にカルトンが追加発注されたことを考慮に入れれば、本稿で提起した先行研究とは異なる新たな見解、すなわちアンリ4世をリュグダミスやアルテミシアと重ねるのではなく、アルテミシアを新たな王妃マリー、リュグダミスを王太子ルイとして読み解くことは、決して不自然ではないだろう。以上より、タピスリー連作〈アルテミシアの物語〉は、カトリーヌ・ド・メディシスの時代に制作された素描群に概ね依拠しながらも、アンリ4世時代の王室の状況を反映し、新たな王妃および王太子への言及性が付与されて製織がなされたと推察される。結びアルテミシアは図像伝統において、たとえばゲオルク・ペンツの版画〔図10〕(注20)のように、理想的な寡婦として、夫マウソロスの遺灰を飲む姿で描かれることが多い。実際、カトリーヌ時代の素描群では、亡き国王の葬儀や墓廟の建設といった主題とともに、アルテミシアが夫の死を悼む描写がなされていた〔図11〕(注21)。しかし、アンリ4世時代に製織されたタピスリーでは、少なくとも本稿で考察した「若き王の教育」の場面においては、国王が存命であったという状況と矛盾することなく、むしろアルテミシアの母親としてのアイデンティティに焦点が当てられている。そこに示唆された、王妃であり将来の王母であるマリー・ド・メディシスの美徳は、本研究で考察対象とした他のタピスリー連作〈ディアナの物語〉および〈コリオラヌスの物語〉においても描出されており(注22)、アンリ4世時代のタピスリーにおける共通の特徴として注目に値するものである。なお、本稿では紙幅の都合上、連作〈アルテミシアの物語〉の「若き王の教育」の場面のみを扱ったが、「ロドス島攻略」や「凱旋行列」など他の主題についても、今後別稿にて詳しく論じることとしたい。― 84 ―― 84 ―

元のページ  ../index.html#93

このブックを見る