⑨ 音丸耕堂の彫漆表現と創作活動─作家意識による変革がもたらした讃岐漆芸の新たな方向性─研 究 者:金城大学短期大学部 非常勤講師 佐々木 千 嘉はじめに本稿では近代の漆芸家、音丸耕堂(1898-1997)の彫漆表現と創作活動における足跡に焦点を当て、従来の漆芸家たちとは異なる姿勢と意識で創作に向き合うことにより、彼がいかにして素材や技法に対して独自の創意工夫を加え、斬新なデザイン感覚を追求する作品制作を行いながら彫漆の表現力と芸術性を高めていったのかを考察する。明治末期から大正期にかけて、古典技術と意匠の伝承に重きを置いた作品制作が行われていた香川県の漆芸界の状況の中、いち早く作家意識を自覚していた彼は、伝統を継承しながらも、技法や意匠に新しさを追求した独自の彫漆表現へと昇華させ、近代日本漆芸の表現領域を広げた筆頭であると筆者は考えている。彫漆は、各種の色漆を幾層にも塗り重ね、その層を彫刻刀で彫り下げることによって模様を浮き彫りにする讃岐漆芸を代表する技法であるが、かつては朱、黒、黄、緑、褐色のわずか5色に限定されていた。そのような従来の漆の色彩に、当時の新素材であるレーキ顔料をいち早く取り入れた音丸は、中間色や鮮明な色漆を駆使した豊富な色彩表現を展開していった。一方で、昭和30年(1955)に重要無形文化財保持者(彫漆)に認定され、数多くの漆芸家たちに多大な影響を与えた音丸耕堂に関する先行研究は、創始者である玉楮象谷(1806-1869)と、中興の祖として讃岐漆芸の近代化を確立したと評される蒟醤の重要無形文化財保持者である磯井如真(1883-1964)の2人に焦点を当てて論じられてきたものに比べて依然少ない現状である。それは令和5年(2023)5月現在に至るまで5人の漆芸家が蒟醤で重要無形文化財保持者に認定されているのに対し、彫漆においては未だ音丸耕堂ただ1人であるという事実にも表れている。音丸耕堂の足跡は、地方産地としての香川県の漆芸の在り方を再考するものであると筆者は分析している。彼に関する論考が未だ少ない日本漆芸史研究の現状と、讃岐漆芸史における学術研究の偏りを鑑みるに、一部の技術や芸術表現が議論・評価されぬまま埋没してしまう可能性も危惧されるのである。故に本稿では、音丸耕堂によって確立された彫漆表現の技術革新が、近代の日本漆芸界において新たな潮流を形成した側面に着目し、いかに彼が表現の多様性と発展を導くに至ったのか、讃岐漆芸界に―92――92―
元のページ ../index.html#102