の色彩から、白や藍を含めた色彩豊かな彫漆作品が確立されるに至ったのである。昭和30年(1955)に彫漆の重要無形文化財保持者に認定された音丸耕堂は、日本工芸会の創立に参加して、日本伝統工芸展の発展の基礎を築いた。また、文化財保護法の制定により、讃岐漆芸の伝統技法である蒟醤、彫漆、存清の保護育成を目的として昭和29年(1954)に設立された香川県漆芸研究所では40年以上にわたって顧問・主任講師を務めた他、香川県出身の漆芸家を内弟子として迎えて指導するなど、東京・中央の美術工芸界と香川県の同郷出身の漆芸家たちとの橋渡しの役目も担いながら、近現代の日本漆芸を先導したのであった。3.音丸耕堂の彫漆表現ここで、音丸耕堂の彫漆における色彩表現の発展について検討する。従来の技術、意匠及び養成訓練から脱却した音丸の彫漆作品と豊富な色彩表現は、素材や技法に絶え間なく工夫を加え、漆による色彩表現の領域を拡張させた。彼の彫漆によって日本漆芸史の文脈に新たな潮流が形成されたと考えられるのである。前述の《彫漆昆虫譜色紙筥》は、蓋表から側面にかけて、桔梗、露草、山帰来などの秋草と、蝶、トンボ、バッタ、コオロギなどの昆虫の流動的な図案構成を意図して彫り描いた彫漆である。従来の堆朱や堆黒では、主題の周辺空間は青海波及び一文地の地文等や幾何学文様が施されていた一方で、この作品においては丸刀による彫りのノミ跡をあえて残すことで、秋の野原の情景を表現し、絵画性を追求した作品となっている。蝶、トンボ、山帰来の葉は一番上の黒を残して表現し、桔梗、露草、バッタ、コオロギは、黒を彫り下げて紫と白で表し、背景は丸刀で彫った部分は磨かずにノミ跡を生かして、さらに下層の藍と白によるぼかしの効果を出している(注19)。新素材を存分に駆使することで、これまでの堆朱、堆黒の限られていた色彩から、多彩で鮮明な色彩表現が可能となった。漆の色彩の幅が広がったことにより、これまでの器物の形状に合わせた地文や幾何学文様を配するのではなく、陰影表現を生かした彫漆作品が制作されるようになったのである。さらに音丸は、塗り重ねた色漆の断面層による平行縞模様を、彫りではなく、形のデザインに生かすという画期的な手法を用いている。《堆漆茶器侘介文》〔図6〕の制作に用いられたこの表現は、色漆を塗り重ねた堆漆板を切断し、切断面の平行線を出したものを何段にも積み重ね、貼り合わせたものを器物の形状に加工している〔図7〕。素地に色漆を塗り重ねたものを彫って加飾したものが従来の彫漆であったが、この表現手法は素地を持たず、塗り重ねた幾層もの色漆そのものを成形している。創―97――97―
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