⑩ 1970-80年代前半アメリカの「パターン・アンド・デコレーション」の研究─装飾と社会の関係を考える一助として─「装飾」の継承研 究 者:インディペンデント・キュレーター 田 中 雅 子はじめに「パターン・アンド・デコレーション」(以下P&D)は、70年代前半から80年代半ばにかけてアメリカで興った美術運動である。日常や他文化に根差す「パターン」や「装飾」に新鮮な魅力を見出したアーティストたちが、パフォーマンスやインスタレーションを含む多様な手法によって展開した。P&Dが改めて問題にした「装飾」とはどのようなものだったのか。運動に関わったアーティストの関心や着想源はさまざまだが、「装飾」(注1)と冠したムーヴメントを形成するにあたって、何らかの根拠を共有していたはずである。P&D以前そして以後も、彼らの多くが「装飾」に向き合い続けていることを見れば、それが単に一元的なモダニズムへのアンチテーゼとして突発的に生じたとは考えにくい。移り変わりが激しい近代芸術動向のさなかで、その深層にどのような動機があったのかを洞察する必要がある。今回の調査(注2)で、19世紀後半から次世紀への転換期にヨーロッパに広がった応用芸術と装飾をめぐる探究が、P&Dに直接影響を与えていることがわかった。戦後の「アメリカ美術」や抽象絵画という文脈で、「装飾性」への関心がP&Dに受け継がれていることはすでに指摘されている(注3)。しかし美術の「中心」がパリからニューヨークに移り、前衛美術が先鋭化したというプロセスと並行して、「純粋芸術(fine art)」と「装飾芸術(decorative art)」あるいは「大芸術(greater art)」と「小芸術(lesser art)」として対置されてきた二つの概念=領域間にも、横断的な影響関係が存在していたことになる。本研究の目的は、P&Dというケース・スタディを通して、「装飾」をめぐる近代芸術のパラダイムを再構築することにある。ここでは試論として、第1章でモダニズムにおける「装飾」の位置付けを再考し、それがP&Dにどのように受け継がれたのかを検証する。第2章では、P&Dがいかに「装飾」と社会を接続し、その意味と行為を拡張しようとしたのかを考察する。P&Dより100年ほど前に「装飾の恢かい復ふく」を唱えたのはウィリアム・モリスだった。―103――103―
元のページ ../index.html#113