鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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「装飾」の拡張出すことは可能かを探っていた(注10)「大芸術」を成り立たせている「偉大さ」は、信じられてきたような普遍的なものではなかった。もし芸術経験の大義が、人々の感情や知性に訴えかけることであれば、「小芸術」にもその条件を満たす作品は存在する。その意味では芸術に大も小もない。こうした枠組みから離れた時に、何が人の心を動かすのか。ゴールディンやP&Dのアーティストたちが装飾やパターンに眼を向けた理由もそこにある。そして、その根拠の一つを世紀転換期の装飾をめぐる議論と実践に見出した。したがって、世紀転換期の一連の応用芸術運動とP&Dの相似性を指摘する場合、造形的な影響だけでなくその態度にこそ着目するべきだろう。実際の近代のプロジェクトは、モリスたちが夢見たようなユートピア的未来とは─芸術と社会いずれの次元においても─異なるものだった。このモダニズムを経て、現実の日常生活や社会と、芸術とをいかに再び取り結ぶことが可能か。このことを踏まえて初めて、P&Dのアーティストたちが、80年代以降積極的にパブリック・アートに関わった理由も正当に理解される。彼らにとってパブリック・アートは「モニュメント」ではなく「環境」だったからだ。「ハプニング」や「環境芸術」の先駆であったアラン・カプローは、ジャクソン・ポロックの死後、次のように述べている。ポロックが壁画のようなスケールの絵画を制作することによって、作品は絵画であることを止め環境となった(中略)ポロックは、私たちの日常生活の空間やもの─つまり身体や衣服や室内、そして必要なら42番街の広漠さ─に夢中になったり、眼を奪われたりする地点に我々を残していった(注11)P&Dの平面作品の多くも、「壁画のような」大きなスケールで描かれているが、鑑賞者を圧倒するモニュメンタルな印象はない。軽快な素材やモティーフに依るところも大きいが、今にも画面を超えて広がろうとするのは、唯一無二の作家性や、一つの地点に留まることなく繁殖し拡張しようとする装飾そのものの「環境」である〔図3、5、6〕。ジョイス・コズロフは、当初絵画を手がけていたが、ある時自分が行っているのは、―107――107―

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