鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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(1)繰り返し描かれるモチーフ第一章 関雪のスケッチブック・下絵類橋本関雪は、その制作において写生を重んじており、そのことは画家自身の言葉にも多く残っている(注2)。また、先にも述べたように、当時としては異例の頻度で中国へと旅行に出かけ、数多くのスケッチを残している。そのうち数回の旅行は新聞連載の記事や随筆集にまとめられ、スケッチもその挿絵として使用されている。その他のスケッチについては、没後刊行された『橋本関雪素描集』が全三巻刊行されており、そこに収録されているものもある(注3)。今回実見する機会を得たスケッチ類は約100冊、画稿類は約80件にのぼり、その中には今回初見のもの、これまで展覧会や書籍で未発表のものも数多く含まれた(注4)。これらを通観して判明したことを、ここでいくつか紹介する。まず、特定のモチーフが繰り返し登場する。これは画家があるモチーフを対象に作品制作を念頭に置いてスケッチをする場合当然と言えるだろうが、関雪のスケッチブックにはときに執拗なまでに同一のモチーフやその断片が繰り返し描かれる。それは馬や水牛、老人、船といった関雪の作品に頻繁に登場するモチーフであることが多いが、中には作品にはあまり反映されなかったラクダもその対象になっている。その中でもとくに船に対してはその傾向が強く、船全体を描くものよりも、舳先のみ、マスト周りのみと、パーツごとに何ページも描き直した痕跡が残っている〔図2〕。馬や水牛も顔のみ何度も描いている箇所もあるが、動態や顔に変化を生じる動物に対し、船は非生物であることを考えると、船に対する並々ならぬ情熱が感じられる。関雪が興味を抱いた対象を目の前に、納得いくまでスケッチを繰り返していた様子がうかぶようである。モチーフのスケッチのほかに、作品に向けたアイデアスケッチについても、複数回同様の図様が登場する。その中でも特に顕著なのが、馬を走らせる人物や馬を取り扱う人物である。中には群像表現としてある程度画面構成され、主題名まで描かれるものもあることから、作品制作を念頭に置いて描かれたものと想像される。その中には、「木蘭辞」をはじめ、「巴御前」や「瓜生兄弟」といった主題もある〔図3〕。関雪の作品の中には騎馬もしくは人と馬の組み合わせの主題が多いが、スケッチにもその関心の高さが窺える。―115――115―

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