(2)竹杖会の学習の記録(3)関雪の西洋絵画学習の痕跡また、関雪の画業最初期のスケッチや、竹内栖鳳の画塾・竹杖会で描いたものと思しきスケッチ類も残っている。とくに、竹杖会で行われたらしい神官姿のモデルを囲んでのスケッチ会の様子は、モデルのことはもちろん、真剣にスケッチをする他のメンバーのことも描き残している〔図4、5〕。参加メンバーらしい似顔絵も個別に残されており微笑ましい。関雪は竹杖会について「一年に一回恐らくは二回と顔を出すことは無かった」と振り返っている(注5)。また、その後会からの離脱や栖鳳との不仲が新聞などで大きく取り上げられ話題になったが、このスケッチからはまだその様子はなく、和やかな雰囲気が伝わる。さらに、関雪が生前大切に保管していたことを考慮すると、作品制作の資料としてはもちろん、同時代の志を同じくする画家たちとともに絵を学んだ時間の思い出の品でもあったと想像される。竹杖会での時間は、関雪にとって貴重な経験であったのだろう。そして、関雪の若年期のスケッチには、西洋絵画からの模写もしくは人体デッサンや西洋彫刻のスケッチのようなものが複数見受けられる。西洋絵画からの模写らしいものは、多くはキリスト教主題を描いたもので、明確な主題が不明なものもあれば、横に「キリストの昇天」「ユダ、イエスに接吻するの図」などはっきりと場面の名称を記すものもある〔図6〕。中にはグリッド線が引かれたものもあり、模写のためのものとも判断できるが、場合によっては関雪自らの構想、その後の作品制作を検討した可能性もある。複数人が描かれる主題が多く、群衆表現がいくつか見られることから、関雪は宗教画の複数人物による画面構成、物語性のある主題の表現に関心を持って学習をしていたものと考えられる。関雪は作品の中に明確にキリスト教を主題とした作品は登場しないが、その構成に宗教画との共通点を指摘される作品がある。この点については、のちの章で触れる。また、人体デッサンもしくは彫刻のスケッチについてはおおよそが裸体であり、やや演劇的な動きを見せるものが多い〔図7〕。それらのほとんどが陰影をつけずに線描で描かれることから、肉体の動きや曲線を学ぶことを目的としたものと思われる。若年期のスケッチに散見されるこれらの西洋絵画からのスケッチや人体デッサンが、竹杖会の指導によるものか関雪自らの関心によってなされたものかは不明である。しかし、ごく最初期のスケッチは日本史に取材する歴史画や浮世絵の模写、手近な人物や植物のスケッチに限られていることを鑑みるに、おそらく竹杖会で何らかの指導を―116――116―
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