鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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(2)西洋絵画からの学習今回のスケッチ調査から明らかになった西洋絵画の学習は、直接的に《木蘭》には見いだせなかったが、西洋絵画の学習を反映したと思われる同時代の作品を検討していくと、《木蘭》にもその成果が見いだせる。《郭巨》(京都国立近代美術館蔵)は、《木蘭》の翌年に描かれた三幅対の作品で、大正8年(1919)第1回帝展に出品された作品である〔図11〕。「郭巨」とは、家が貧しく母親を養うために我が子を地面に埋めようと穴を掘ったところ、そこから「天、孝子郭巨に賜う」と書かれた黄金の入った瓶が出てきたという話であり、中央に黄金の入った瓶、その右幅に郭巨と、左幅に子供を抱く妻が描かれる。聖母子とヨセフを思わせるその構成に発表当初から西洋絵画からの学習が指摘され、関雪の作品の中でも類例を見ない特徴的な作品である(注8)。《木蘭》の主題である「木蘭辞」は、年老いた父親が徴兵されたため、男装して父親の代わりに出兵し手柄を上げるという少女木蘭の話であり、《郭巨》とは親に対する孝行の話という点で共通しており、また木蘭と郭巨の妻の表情についても非常に類似している。伏し目がちで口元はわずかに微笑み、髪型についてもそれぞれ纏め髪の高さは異なるが後ろで団子状にまとめ、木蘭は額当てで、郭巨の妻は頭巾のようなもので頭髪をまとめたところから前髪が少し出ている。また、《郭巨》と同年に制作された《羅浮仙図》(華鴒大塚美術館蔵)と、今回下絵の中に確認できた「胡地の王昭君」にも、非常に似た表情が描かれている。羅浮仙は梅の花の精霊であり、王昭君は美女であることから、美しい女性の表現であったとも言える。《郭巨》の画面構成も踏まえ、この表情を聖母マリアから引用したと考えられるが、家族を思う表情、慈愛の表情という点では、観音像などからの引用も考えられる(注9)。中国故事と西洋の宗教画を結びつける教養と想像力の高さと、さらにその文脈から人物の表情を引用していく展開力には、関雪の最も技量の高い時期であることを感じさせる。また、関雪が物語を表現するため用いた構図は、巻物、屏風といった日本画の形態を生かすように工夫されており、《木蘭》においても同様の工夫が凝らされている。六曲一双屏風という横長の画面に木蘭と仲間の兵士を左右隻に配置し、右隻から兵士が木蘭を見るという構図で鑑賞者の視線を木蘭へと誘導すると同時に、木蘭が少女であることをまだ知らない兵士が、家族のことを思いふと少女の表情に戻る木蘭の姿を一方的に見るという構図で、「木蘭辞」のエッセンスを表現している。《木蘭》に至る以前、関雪の1910年代前半の官展出品作には、屏風に複数人数を配置する物語性のある主題を描く作品が多数存在する(注10)。これらの群像表現は、絵巻のような右か―119――119―

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