から解すると、傅抱石は高島の皴法理論に賛同するはずであった。しかし同時に、傅抱石は高島の欠点について、こう指摘している:「一部の資料に対する処理に慎重さが足りない。例えば、第一章に引用された諸々の皴法と、挿入された第1から第9までの図版の繋がりが弱い」(注7)。さらに第一章の注解9ではより明確に自分の意見を説明している:「原本に付された図版には間違いが見られる。ここでは代わりに通行本の図版を挿入する」(注8)。高島北海が『写山要訣』に使った皴法に関する紹介文や図版は、清代の『芥子園画伝』からの転用であった。彼は『芥子園画伝』初集(1679年成書)の「青在堂画学浅説 計皴」の内容を参照し、「支那画家の指定したる」(注9)16種類の皴法を列挙した。参考図版として、『芥子園画伝』初集から9点の図版を採っている。これに対し、傅抱石は高島が選んだ挿絵の妥当性に異議を唱えた。この問題に関する先行研究はいまだ存在しない。ここで高島の『写山要訣』と、傅抱石の訳になる『写山要法』がそれぞれ引用した『芥子園画伝』の図版を比較し、〔表1〕にその対照表を示す。原本『写山要訣』と訳本『写山要法』を比較すると、『芥子園画伝』から取った9枚の挿絵の番号は一致しており、「第一図」を「図1」とした類の表記の違いしか見うけられない。『写山要訣』の図版には、皴法の種類によって、新しいタイトルが付けられている。皴法の名称と順番から考えて、これらの図版は主に、高島北海がそれぞれの段落の説明を捕捉したものだろう:「第一披麻皴には、長披麻短披麻の別あり、此皴は圓渾なる山峰或は石塊の、凸凹明晦を示すが為めに用ゆるときは、一種の陰影と見做すを適当とす、然れども亦実際此皴を具せる山岳あり、第二乃至第六の諸皴も、自然の形態に出るものにて其内荷葉、礬頭、解索等は、山峰を作るに用ゆべく、折帯皴、斧劈は、山峰石塊共に用ゆべし」(注10)。傅抱石が採用した図版は、別版本の『芥子園画伝』から取ったため、印刷の細部の表現に違いが見られる。図版の差し替えによって、確かに図版の質はよくなった。傅抱石は『芥子園画伝』の原図にある説明はそのまま保留したが、高島版のタイトルは削除した。この比較対照表〔表1〕は、国立国会図書館所蔵の『芥子園画伝』(注11)を参照し、対応する元図版を探し出して、二つの本で採用された図版の具体的な比較を行ったものである。傳抱石は図1、3、6を換えた。図1について、高島北海は『芥子園―3――3―
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