注⑴橋本関雪の略歴については、以下の文献を参照した。『橋本関雪─入神の技・非凡の画』求龍堂、2023年4月、210~217頁⑵橋本関雪『南画への道程』中央美術社、1924年⑶旅行記は、橋本関雪『関雪随筆』(中央美術社、1925年)、橋本関雪『支那山水随録』(交友堂書店、1940年)など。スケッチ等は『関雪素描集』(関雪遺作刊行会、1947年)、『橋本関雪素描名作集』全3巻(白沙村荘出版部、1972年)など。⑷一部冊子が崩れたものがあり、明確な数字は判明しなかった。⑸橋本関雪「私はなで栖鳳翁と分れたか?」『文藝春秋』第7巻第12号、54~57頁⑹橋本関雪「文展十四年間のある出来事」『関雪随筆』1925年⑺小佐々学「日本在来馬と西洋馬─獣医療の進展と日欧獣医学交流史─」『日本獣医師会雑誌』64(4)、2011年6月、419~426頁⑻坂井犀水「日本画」『中央美術』第5巻第11号、1919年⑼猪巻明「近代日本画家の作品にみられるラファエル前派の影響─そのⅤ、橋本関雪の作品を中心として─」『秋田大学教育学部研究紀要 人文科学・社会科学部門』51号、1997年、77~92頁《郭巨》は1919年作だが、前年10月に三越で開催された個展に、同じく「郭巨」をほぼ同じ構図で描いた作品が存在する。そのため《木蘭》を描いた時点で《郭巨》の構想はすでにあっただろう。観音像については、関雪が度々作品に描いており、また仏像も蒐集していた。⑽明治44年(1911)第5回文展《片岡山のほとり》(ウッドワン美術館蔵)、大正元年(1912)第6回文展《後醍醐帝》(福田美術館蔵)など。いずれも褒状を受けている。⑾橋本関雪「灯前雑話」『関雪随筆』中央美術社、1925年、248頁同時代の中国画家に学ぶことはないとし、「自分の師とするものは支那の自然である」と述べている。⑿初めてのヨーロッパ旅行は大正10年(1921)、2回目は昭和2年(1927)である。―121――121―
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