Junker以前の研究において、パウサニアスが述べるような女神アテナが神の意志に反した行動をとったマルシュアスを打ち据えるという伝承が本作の主題であると考えられてきた(注6)。これに対し、女神アテナはマルシュアスを打ち据えたという神話とその美術表現はミュロンがこの彫像が制作された前5世紀には成立していなかったとの説をK. Junkerは示した(注7)。 「ここにはシレノスのマルシュアスを殴打するアテナの像が建立されている。二本笛は残らず処分して捨ててしまうのが女神の意志であったのに、マルシュアスがそれらを拾い集めたので打擲されたのだ」パウサニアスは、女神アテナとマルシュアスにまつわる伝承がこの彫像の主題であると述べている。彼は彫刻家がミュロンであるとは述べていない。だが、後1世紀の著述家大プリニウス(Plin. nat. 34, 57)は、ミュロンがマルシュアスの彫像を制作したと述べている。ミュロンは前5世紀中葉に活躍した彫刻家で、少なくとも24の作品を制作したことが考古学的・文献学的手がかりから知られる。これらの記述から、パリ、ルーブル博物館およびフランクフルト・アム・マインのリービヒ彫刻館所蔵の女神アテナ〔図1~2〕及びヴァチカンのグレゴリアーノ・プロファーノ博物館及び個人コレクションに属する女神アテナとマルシュアス〔図3~4〕─これらはいずれも古代ギリシア彫刻のローマン・コピーである─の原作はミュロンでパウサニアスとプリニウスが述べる彫刻であると広く見做されてきた(注4)。これまでの研究において、女神アテナとマルシュアスの彫像は彫刻家の活動年代及びローマン・コピーの様式から前450年前後に年代づけられてきた(注5)。ローマン・コピー台座の右手にはマルシュアスがおり、左手には女神アテナが槍を持って立つ。兜を被る女神アテナの槍の向きや両者の手の向きは、ローマン・コピーとして伝わるこれらの大理石像においても欠損していることから複数の復元案が提示されている。第二章 アテナとマルシュアス像が表す神話彼がまとめているように前5世紀には次のような伝承が知られていたと考えられる(注8)。女神アテナは笛の発明者であった。サテュロスによって、その笛を吹けば顔が醜く見えると唆されたアテナは笛を投げ捨てた。マルシュアスはそれを拾い熟達した演奏者となった。前490年頃に成立したピンダロスのピュティア祝勝歌第一二歌(Pind. P. 12)はアテナの笛発明神話の現存する最古の手がかりである。そこでは、女神アテナが二管笛の発明者にして、そのための曲の作曲者とされた。続いて、この―126――126―
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