女神が笛を放棄する伝承に言及する最古の作品(Athen. 14, 616e)は前450/400年頃に活動した詩人メラニッピデスのものでアテナイオスの著作に引用されている。プルタルコスの作品(Plut. De cohib. Ira 456B)に引用される前5世紀のものと考えられる別の詩の断片においては女神アテナが笛を捨てた理由は、笛を吹く際に頬が大きく膨らみ醜く見えるためであると歌われている。なおこのマルシュアスは前5世紀のアテナイ美術において、二管笛の熟達した演奏者として表現される場合があった。にもたらされたという神話をミュロンの彫刻は表現していたと考えられよう。第三章 前6/5世紀のアクロポリスに建立された運動・音楽競技選手による奉納物アテナイのアクロポリスは当時のアテナイ人にとって最も重要な奉納物の建立場所であった。本章では運動・音楽競技大会における奉納物に幅広く目を向けてその特質を述べる。なお本研究でいう音楽競技大会とは琴及び笛の力量を競うコンテストとし、さらにここでは合唱隊(コロス)競技による奉納物にも目を向ける。アテナイのアクロポリスには少なくとも6点の運動競技選手が奉納した彫像及び絵画形式の記念物の台座が出土している。運動競技選手ファユロスが前470年頃に奉納した彫像の台座はアテナイ以外のポリス出身の運動競技大会勝者による知られる限り唯一の奉納事例である(注9)。その彫像の台座には彼が勝利した運動競技大会の名前が記されている。パウサニアスの記述とアクロポリス出土の台座の碑文から、エピカリノスも武装競争選手として奉納彫像を建立していたことが知られる(注10)。エピカリノスと同様にアテナイ市民プロナペス(注11)やディデュミアスの子カリアス(注12)も運動競技大会における勝利を記念して建立された奉納物である。これらに加えて、エウトイノスの子ヘルモリュコス(注13)及びヒッポニコスの子カリアス(注14)による奉納物も運動競技大会における優勝を契機として奉納された可能性が示されている。さらに絵画形式の奉納物に目を向けると、アルキビアデスはオリュンピア競技大会における馬車競走競技での勝利を記念して二枚の絵画を奉納したことが文献から知られる(注15)。これまでみてきた事例は運動競技大会勝者の奉納物であるが、音楽競技における勝利を記念すると考えられてきた奉納物二例にも触れたい。一つ目は前500年頃にキタロイドスと自称するアルキビオスによって奉納された(注16)。これまで、直方体の台座上面にはブロンズの彫像や鼎などを固定するために掘られたダボ穴がないことから、台座の上にさらに彫像を固定していた小さな立方体の台座が、銘文が刻まれた大Junkerが指摘した通り、笛が女神によって発明され、マルシュアスを通じて人類―127――127―
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