鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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きな台座に設置されていた可能性が想定されてきた(注17)。この小さな立方体は音楽競技大会において、競技参加者が演奏する際に載った台を模しているのだろう。つまり、彼の奉納物は彼自身の肖像であると考えられる。二人目のキタロイドスとして前480/470年頃に女神アテナに奉納物を寄進したのはオプシオスなる人物が挙げられる(注18)。奉納物は現存せず、台座からその主題を特定することは困難である。二つの奉納物は自らをキタロイドスと称する者によって建立された。キタロイドスとはキタラ琴の演奏に合わせて詩を歌う者を指すことから、両者は音楽競技大会におけるキタロイドスとしての勝利を理由にこれらの奉納物を寄進したと考えられてきた。アテナイのアクロポリスには、運動競技大会における勝利を記念する奉納物及び楽器を用いた音楽競技大会での勝利を記念する奉納物の二つが建立されていたことが確認できた。次に合唱隊に関する奉納物に目を向けたい。前5世紀のアテナイでは演劇及び合唱競技に参加する合唱隊への奉仕は富裕な市民の義務であった(注19)。この合唱隊の伴奏には二管笛が用いられたことが知られる。合唱隊の運営に必要な全費用を負担し、衣裳や練習場を提供するのが奉仕者の役割である。テミストクレスもその職務に従事し、自らが出資した合唱隊が優勝したことを理由に絵画を奉納したことが知られる(注20)。大ディオニュシア祭において自らが奉仕した合唱隊が優勝した際には、アクロポリスの麓にあるトリポデス通りにブロンズの鼎を奉納する習慣があった(注21)。今日、これらの奉納物は失われたが、それらを支えていた複数の台座が出土している(注22)。その台座には銘文が刻まれており、一般的にそこには合唱隊奉仕者の名前、合唱隊が歌った詩の作者、伴奏をした二管笛の奏者、合唱隊が属するアッティカ部族の名前、合唱隊が勝利した年にエポニュモス・アルコン職を務めた市民の名前が刻まれていた(注23)。当時、合唱隊の勝利は出資者である合唱隊奉仕者のものとみなされるのが常であった(注24)。これらの合唱隊奉仕者による奉納物は一般的に絵画や鼎であり、その建立場所はディオニュソスやアポロンの聖域を筆頭に市内の様々な聖域であった。アクロポリスにも前500/470年頃に逸名の奉納者が、自分が作曲した詩を歌った合唱隊が勝利を飾った暁には奉納物を寄進するという自らが立てた誓いに従って境界標石(Horos)を建立した(注25)。加えてテロクレスの子カリアスが自らの合唱隊の勝利を理由に奉納物を設置している(注26)。前5世紀を通じてアテナイのアクロポリスは音楽競技大会における優勝者の奉納物建立場所としての役割を担っていたことが確認できた。―128――128―

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