⑬ モーリス・ドニの公共建築装飾研 究 者:広島県立美術館 学芸員 森 万由子はじめに19世紀末から20世紀前半のフランスで活動したモーリス・ドニ(1870-1943)は、生涯にわたり数多くの壁画装飾を手がけた。パトロンの注文に応えた私邸装飾、敬虔なカトリック教徒の画家として尽力した宗教建築装飾に加え、1912年に手がけたシャンゼリゼ劇場天井画を皮切りに、美術館、政治機関、学校など様々な世俗の公共建築にも装飾を残している(注1)。しかしそれらの作例について、複数の作品を横断的に扱う研究は、未だ十分になされていない。平時は関係者以外の立入が制限されている場所もあり、網羅的な図版による紹介もなされてはいないのが現状である。若手の前衛芸術家グループ、ナビ派の一員として世に出たドニは、のちに彼自身「私は公式(officiel)になった(注2)」と述べるように権威的な存在となった。まさにそのことが今日、後期の作品の評価を妨げる要因の一つにもなっている(注3)。本研究ではこうした「公式」の画家像の内実を明らかにすべく、公共建築装飾作品群の再検討を行う。先述の通り、ドニは宗教建築装飾にも多数の作例があるが、これらは個別の領域として検討される必要がある(注4)。本研究では世俗の場所に絞り、以下の8点を対象とした(注5)。①シャンゼリゼ劇場天井画(1912年、パリ)〔図1~4〕②プティ・パレ美術館階段天井画(1925年、パリ)〔図6、7〕③元老院階段天井画(1928年、パリ)〔図10〕④国際労働機関階段壁画(1931年、ジュネーヴ)〔図12〕⑤シャリテ市民施療院会議室壁画および天井画(1936年、サン=テ=ティエンヌ)〔図13、14〕⑥シャイヨー宮劇場側廊壁画(1937年、パリ)〔図15、16〕⑦リセ・クロード・ベルナール玄関ホール壁画(1937年、パリ)〔図17~19〕⑧パレ・デ・ナシオン議場壁画(1938年、ジュネーヴ)〔図20〕なお、①、②、③、⑥、⑦に関しては今回、実見調査を行い、④、⑤、⑧は文献資料および写真を参照した。―135――135―
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