ルが辞退し、ナビ派の画塾アカデミー・ランソンの生徒で一世代下の画家ロジェ・シャステルが参加した。2.主題への回帰ドニの公共建築装飾の多くは、複数の画面が集まり一つの大きな主題を表す伝統的な構成を持つ。他の画家と協働して一つの空間を飾る場合にも、全体での主題の統一に重きをおいていた(注23)。各画面内でも人物はさらにいくつかの集団に分けられ、個々に独立した寓意を持つ場合が多い。制作過程もこの構成に準じ、伝統的な壁画制作の手法をとった(注24)。シャンゼリゼ劇場天井画を制作中の1912年、画家は装飾における主題について思案している。当時の日記には「観客の頭脳労働を極力減らすために、どんなものであれ、演出に主題(sujet)の論理が必要であること。あらゆる意味で明確であること(注25)」と綴られている。ドニの考えはのちに時代の要請と合致し、追認されることとなる。1935年、『フランス百科事典』に寄せた文章で、ドニは「集団性」の概念を明確に意識しながら「公式の理念を大衆の目に翻訳」した第三共和政初期の装飾を評価し、「主題への回帰(Le retour au sujet)」を呼びかけている(注26)。ドニ自身に主題への回帰と呼べる意識の変化が訪れるのは早くも19世紀末、古典開眼の契機とされる1898年のローマ滞在時であった。当時の日記には「街の通りで目にしたものを「主題」へと変化させた」ドラクロワの例が目指すべき方向として記されている(注27)。ドニの公共建築装飾に共通する特徴、ナビ派時代の平面的な作風と一線を画す、再現的な人物表現への様式転換もまた、古典芸術から受けた感銘と結びつけられる。しかし1912年の記述や1935年の時代状況に鑑みれば、特に公共建築装飾の分野においては、再現的な様式は大衆に主題を明確に伝えるために選択した造形手法でもあったと考えられる。さらにドニは、伝統的な寓意像と同時代の要素を併存させることで、主題の現代化を試みている。元老院では第一次大戦時の軍服姿の兵士や砲台、飛行機が描きこまれ、国際労働機関ではジャケットにハンチング帽の労働者がキリストの話に耳を傾ける。施療院では患者たちをモダンな服装で描き、レントゲン写真を手にした「放射線医学」など新たな時代の寓意像を考案した。シャイヨー宮で楽器を演奏する女性や子供の服装は近代的で、リセではスーツや白衣に身を包んだ研究者が、ビルやクレーンを望むガラス張りの研究室で最新の機器を操作している。聖書や神話の情景に同時代の要素を加える手法はドニの教会装飾や私邸装飾、イーゼル画にも見られるが、公共建―138――138―
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