鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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し、凝縮するものであり、同様に旧約の物語を明確に分割して解釈したアンブロジウスに依拠するとクラウトハイマーは考えた。また、クラウトハイマーによれば、ギベルティのピラミッド型のノアの方舟の表現〔図3〕は、オリゲネスの『創世記講話』においてのみ記されているという。紙幅の都合上、ここでは論拠のすべてを挙げられないが、クラウトハイマーはこの時期の教父研究を牽引していたトラヴェルサーリとニッコリがプログラムに関与していた可能性を指摘している(注10)。対して、エイミー・ブロックという研究者は近年、クラウトハイマーのピラミッド型の方舟をめぐる典拠に異議を唱えた。オリゲネスの写本は、当時、ヒエロニムスもしくはルフィヌスによるラテン語訳が流布していた。ブロックによれば、オリゲネスは方舟を表現するのに「ピラミッド型」を示す形容詞を用いているが、一方、ルフィヌスは方舟の外観を「…一番下の部分は四つの角を持っており、その四つの角をそのまま保ったまま、最上層の一キュビトの空間まで上っていくにつれ次第に狭くなっていた」(注11)と記述しており、ラテン語で「ピラミッド型」を意味する語を用いていない。したがって15世紀の人びとは、この記述から方舟の形を推察したことになる。加えてギベルティの方舟は、ルフィヌスのラテン語訳が示しているような上部が切り詰められた構造ではなく、ひとつの頂点に収束する完全なピラミッド型であることを指摘している(注12)〔図4〕。ブロックによれば、ギベルティは、ウィトルウィウスの『建築について』第二書で記されている建築の誕生における原始的な建造物を、この扉のパネルにおいて用いているという。たとえば、かつて方舟が洪水の後、流れ着いたとされるアララト山がある地域、ポントスやフリギアでは、円錐形やピラミッド型の原始的な建造物が建てられていたとウィトルウィウスは言及しており、ギベルティはそこから着想を得たというのがブロックの見解である(注13)。ここでは、方舟の典拠をめぐる議論の是非は問わないが、注目すべき点は、教父たちの再興にともなって1420年代以降、その聖書解釈が視覚芸術にも影響力を持ちうる状況にあったこと、併せて、フィレンツェにおける教父たちの再興は、古典の復興と軌を一にしていたことではないだろうか。ブロックは著書のなかで「創造者」としてのギベルティを強調しているが、他方でギベルティが、知識人たちとの交流から多くの知識を得ていたことを認めている。ギベルティは実際ニッコリやトラヴェルサーリと親交があり、ニッコリはギリシア・ローマの古典に加え、オリゲネスによる『創世記講話』や他の旧約の講話集、その他、膨大な数のギリシア教父やラテン教父の写本を所有していた(注14)。―150――150―

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