鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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志」が位置づけられている(注20)。ゆえに『生命の都』では、人間の魂は常に、善と悪のどちらを選択するのかを促される。もっとも、パルミエーリは、全面的にオリゲネスに追従していたわけではなく、ピュタゴラスやプラトンといった古代ギリシア思想を土台として、そこに変更を加えながら独自の思想を構築していた。それゆえ『生命の都』において、人間の魂(=中立の立場の天使)は、三回だけチャンスを与えられる。その後これらの魂は、永遠の生を享受するか、永遠の苦しみに苛まれることになる。すなわちパルミエーリは、きわめてギリシア的な魂を「不滅のもの」としてみなす思想をベースとしてはいるものの、ピュタゴラスやプラトンのように無限の転生を支持しているわけではないし、より低次の生物への転生も意図していない。魂は、神を選択するのであれば、その「恩寵」によって永遠の生を享受するわけである。キリスト教に依拠しつつも、パルミエーリが、自由意志にもとづいて選択するという行為に力点を置いていることが分かる。さらにパルミエーリは、善を選択したもののみが救済されるという考えによって、オリゲネスによる「万物の救済」という教義にも背を向けている。一方で、パルミエーリが前提とした魂の思想は、実のところ、サルターティの時代から連綿とフィレンツェの人文主義者たちが関心を寄せていた問題でもあった(注21)。たとえばサルターティは、1374年のペトラルカを追悼する書簡において、プラトンの対話を引用しながら「魂の不滅」について記している。ただし、サルターティのプラトンの知識は、マクロビウスやボエティウス、ラテン教父を介して得たものだった。サルターティはこの時、ラテン語訳のプラトンを入手するに至っていない。15世紀に入ると、ブルーニが『パイドン』を翻訳し、その序文で、ブルーニは、プラトンによる魂の思想が、キリスト教の真理に一致していることを主張する。また1433年には、マルスッピーニがメディチ家の兄弟の母親の死を悼む追悼演説において、プラトンの『国家』『パイドロス』そして『ゴルギアス』を引用して、「魂の不滅」を擁護している。さらに、フィチーノも1456年に、トラヴェルサーリが翻訳した、ヘレニズム時代の新プラトン主義者、ガザのアエネアスが「魂の不滅」について論じた『テオフラストス』を筆写したことが知られている。そして言うまでもなく、フィチーノが1474年に書き上げた『プラトン神学』は、「魂の不滅」について論じたものだった。パルミエーリの長編詩『生命の都』で示された思想は、こうしたフィレンツェの人文主義者たちの系譜とその関心を考えるなら、決して特異なものとは言えない。フィレンツェでプラトンの思想が隆盛をきわめたのは15世紀の後半であるが、実際には上記のように、トラヴェルサーリによるギリシア教父の再興によって、キリスト―152――152―

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