らに北呉庄を含めて発見された鄴城式の樹下思惟像は、山東省の青州式の東魏北斉像とは異なる様式が確認できる一方で、朝鮮半島や日本の半跏思惟像には、近い様式を見出すことができる。一 東魏北斉における鄴城の「樹下思惟」像の宝冠様式まず本研究に取り上げる鄴城の仏像は、主として東魏北斉の鄴城を中心に発見された白石像や、その影響を受けて同様の特徴を備える仏像である。これらの白石像はそれぞれの形式が相近しく、背屏で樹下思惟像を表現する作例も存在する。北呉庄の発掘を行った何利群氏により、このような像の起源は鄴城であると指摘された(注2)。東魏北斉の鄴城の「樹下思惟」像に見られる宝冠の基本的な形式は三面宝冠である。そして最もよく見られる様式は、〔図1〕のように、頭飾は全体的に丸く、頂部にかけて尖る蓮弁のような形をする。頭飾の表面にはしばしば円形または半円形を刻んでおり、一般的には宝珠と見られる。また頭飾の左右の間には植物に乗る宝珠が表現されている。このような冠の様式は、すでに北魏末から現れている。これは東魏北斉に最も多く見られる様式であり、この特徴は他の地域の像でも確認することができる。しかし注目すべきことは、今回の北呉庄での発見を含め、「樹下思惟」像の宝冠の様式には異なるものが存在する。「樹下思惟」像に限って言えば、冠の正面の頭飾の上に一つの三日月が表現されている作例が存在する。中国の南北朝時代の冠に見られる三日月の表現について、敦煌研究院の趙声良氏(注3)は日月形、仰月形、仰月+山形と三種類に分類した。この中で東魏の鄴城式の樹下思惟像に多く見られるのは日月形である。また、冠に三日月形を表現するのは、中央アジアからの影響と見られ、これは王権の象徴であり、神の身分を表現する場合も存在する。例えば、北呉庄の東魏晩期北斉初の像の背面の樹下思惟像の冠の頭飾は円形で、周りは花びらのような小さい円形に囲まれている〔図3〕。そして正面の頭飾の上には日月形の三日月を表現している。そして〔図3〕は鄴城の南で発見された一仏三尊像の背面の愛馬別離像〔図4〕に似ている。この愛馬別離像の思惟像の冠の頭飾と先に挙げた樹下思惟像の冠の頭飾は同様の形式で、正面の頭飾の上にも三日月を表現している。東魏北斉の「樹下思惟」像だけにこのような三日月を飾る冠を表現することは、当時の「樹下思惟」像に対する認識と関係があると考えられる。「樹下思惟」像は、菩薩であり、太子であった時の釈迦を表してる。そのため、王権または神の身分を象徴―159――159―
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