する三日月を冠に装飾するのは妥当であろう。しかし、冠に三日月を表す作例は、北魏時代の菩薩像から広く存在し、東魏北斉の「樹下思惟」像の三日月冠の由来は中央アジアまたソグド人とは直接的に繋がり難いと考えられる。その一方で、東魏北斉の鄴城を中心に、朝鮮半島または日本に伝播された冠の形式が存在する。さらにこの形式はソグド人と緊密に関係すると考えられる。次にこの形式について詳しく論じる。二 東魏北斉における鄴城の菩薩像の新たな宝冠様式「樹下思惟」像を含め、鄴城をはじめとした河北省の多くの菩薩像の冠の頭飾には特徴的な表現が見られる。例えば、〔図5〕のように雲形の輪郭を持ち、輪郭の一部がCの字を描くように内側まで伸び、渦巻きのような形になるのが特徴である。この巻き込むような曲線表現が何度か繰り返し現れ、全体を形作る。一部の作品では巻き込むような表現が内向きにだけでなく、〔図6〕の像の冠の上半部のように外向きにも見られる。そのため、冠の頂部はしばしば波頭形あるいは杯形を呈する。こうした頭飾は、浮彫で立体的に表したもの、鎬を立てて輪郭を強調したもの、反対に陰刻線のみで表したものなど様々な作り方があるが、いずれも雲形の輪郭と渦巻きのような形をもつ先端が表現されている。そのため、これらの表現形式は同類に属すると考える。そして、このような表現は日本にも多く見られ、東魏北斉に起源すると考えられる。例えば薬師寺金堂両脇侍菩薩像の三面頭飾及び臂釧などに見られる花文の周囲に、小さな蕨手状の回旋形が表わされている。『華厳経』を初めとした諸経典では戴冠する仏・菩薩に言及し、さらに宝冠と放光の関連を説いている(注4)。例えば、六十華厳の「盧舎那品」では「菩薩の天冠、宝の瓔珞、離垢荘厳の光明に照らされ、妙香、砕宝悉く充満し、光明は衆の宝華をもって荘厳し、普く一切に放ちて十方に満ち、宝華は普く一切地に覆い、悉く能く仏の功徳を長養せり」(注5)とある。つまり、〔図5、6〕の菩薩像の冠に見られる特徴的な表現は、化仏や宝瓶、宝珠の一種の放光表現として理解することができる。ここでは便宜上これらの表現を「蕨手形放光」と呼ぶ。このような冠の様式は東魏の菩薩像に発端し、北斉に至ると非常に流行した。さらに菩薩の冠だけでなく、菩薩の装身具や仏塔、石窟の装飾としてもこの蕨手形放光は幅広く用いられた。なお、仏典においては、火焔あるいは光焔の表現形式についての具体的な記述はない。菩薩の冠の放光がどのような形態を示すのかも、何ら説明されていない。そのため、このようなものを表現する際には実在の事象を参考にせざるを得ず、表現形式も―160――160―
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