うねるように表現されている。このような表現も鄴城式の像に見られる。以上により、青州地域の仏像は、南朝からの様式に影響されているとの指摘があるが、青州式の北斉半跏思惟像の裙の表現や蕨手系放光を見れば、明らかに鄴城の様式からの影響が確認できる。加えて、鄴城の様式が青州に伝播したとなれば、その先の朝鮮半島や日本への様式伝播が考えられる。これはつまり、北朝から山東半島、そして山東半島から朝鮮半島、日本という伝播経路は可能だと考えられる。四 東魏北斉における鄴城の「樹下思惟像」の様式伝播また、ここまでで述べた東魏北斉の鄴城式の「樹下思惟」像に見られる宝冠と衣文の様式は朝鮮半島や日本の半跏像にも見られる。先に取り上げた東魏に見られる宝冠の正面の頭飾の上に一つの日月形の三日月が乗る表現は、朝鮮半島及び日本の半跏像においても類似のものがしばしば見られる。例えば、〔図12〕の金銅半跏像の正面頭飾の上には三日月表現がある。そして注目すべきことは、この像の正面頭飾には花びらに包まれた大きな円形が見られる。この頭飾の様式は先に列挙した〔図3、4〕と非常に近い。そして東魏北斉の菩薩の冠などに表現する蕨手形放光は、朝鮮半島や日本へ伝播し、特に日本の飛鳥、白鳳時代の多くの菩薩像に見られる。法隆寺献納宝物一七二号観音菩薩像、野中寺半跏像、法隆寺献納宝物一五九号菩薩像などの冠の様式は、明らかに東魏北斉からの影響を受けている。また、日本において、このような冠を戴く菩薩像は広範囲に存在する。白鳳時代の福井県正林寺菩薩半跏像、福岡市美術館蔵菩薩半跏像、鳥取県大山寺観音菩薩立像などはこの類に属する。また、このような東魏北斉の鄴城の「樹下思惟」像に由来し、青州にも見られる衣文表現も朝鮮半島及び日本の作例にも多く見られる。韓国の国宝第83号の半跏思惟像にも裙のめぐれ上がる表現があり、衣文表現は全体的に鄴城の思惟像と類似する。そしてすでに多くの学者により論証された国宝第83号と関係する二十六聖人記念館の半跏像〔図13〕や、広隆寺宝冠思惟像などの像の衣文表現は、同じ鄴城系統にあると考えられる。さらに観松院半跏像や対馬市の浄林寺半跏像〔図14〕などの像でも膝の下の裙はめくれ上がる部分を表現している。ただしこれらの像のめぐれ上がる部分の布は大きく上向きに反り、鄴城の様式からの発展形と考えられる。東アジアの半跏思惟像、さらに菩薩像については、従来南朝に影響された青州地域から流行が波及したと言われてきた。しかし、以上に見てきたように、東魏北斉の「樹下思惟」像の検討から、東魏北斉の都であった鄴城の像は東アジアの半跏思惟像、さ―164――164―
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