注⑴大村西崖「幕府の御絵師に就きて」(『書画骨董雑誌』91号、1916年)、佐藤道信「狩野派の終焉」(所収『明治日本画史料』中央公論美術出版、1991年。後に同氏『明治国家と近代美術』吉川弘文館、1999年にも収録)いても、今後、精緻に追っていきたいと考えている。本稿を成すにあたり、元海上保安庁職員・佐藤敏氏からは多くのことを御教示いただきました。改めて御礼申し上げます。⑵山田久美子『狩野友信─最後の奥絵師、幕末・明治を生きる』(水声社、2021年)⑶埼玉県立歴史と民俗の博物館『狩野派と橋本雅邦─そして、近代日本画へ』(2013年)、浦木賢治「江戸狩野派の明治初期の動静について」(『埼玉県立歴史と民俗の博物館 紀要』第9号、2015年)を参照。⑷前注⑶浦木2015⑸前田匡一郎『駿遠へ移住した徳川家臣団』第2編(私家版、1993年)⑹海上保安庁水路部編『日本水路史1871~1971』(財団法人日本水路協会、1971年)によれば、柳田龍雪は銅版彫刻の技術習得のため明治5年4月にイギリスに派遣されたが、帰国後は出仕しなかったという。⑺『水路部八十年の歴史』(水路部創設八十周年記念事業後援会、1952年)を参照⑻前注⑺、p. 180参照⑼前注⑹、p. 65参照―177――177―
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