鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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トン美術館蔵)〔図7〕、竪幅《松に鸚鵡図》(個人蔵)〔図8〕、《動植綵絵 老松鸚鵡図》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)〔図9〕がある(注7)。図によって、鸚鵡は冠羽を閉じたり開いたり、右向き、左向き、背中側、胸側からの姿と違いがある。鸚鵡の品種は全身が白く、眼が黒く、薄桃色や薄黄色を帯びた冠羽があり、タイハクオウムかオオバタンと思われる(注8)。これらはモルッカ諸島に棲息し、江戸時代にはオランダ船か中国船によって舶載され、鳥類図譜に写されている(注9)。制作時期が最も早いのが草堂寺本と京博寄託本で、宝暦3、4年(1753、54)頃と推測され(注10)、落款は「平安若冲居士藤汝鈞製」、「丹青不知老將至」(朱文方印)、「若冲居士」(白文方印)、「汝鈞」(朱文方印)。冠羽と眼の周り、翼の付け根に薄桃色を施し、胡粉の細い線で一枚ずつ描いた羽毛の集合によって鸚鵡を形づくる〔図10〕。羽毛の大きさや毛描きの変化によって、質感や丸み、立体感が生まれている。嘴も墨色の濃淡により立体的である。他の4点の《鸚鵡図》の落款は「心遠館若冲製」「汝鈞」(白文方印)、「若冲居士」(朱文円印)と共通し、宝暦7年(1757)頃の制作と推定される(注11)。制作順は、羽毛表現や止まり木の変化から、画選本→ボストン本→イェ─ル本→千葉市美本と推測する。画選本は草堂寺本と同様の羽毛表現だが、ボストン本では胸の羽毛を三日月を横にしたような太い湾曲線で表す。そして、イェール本と千葉市美本では鸚鵡が細身になり、胸や肩に胡粉を面的に薄く塗り、胸に湾曲線を連ねる〔図11〕。2点の《松に鸚鵡図》も鸚鵡の描き方から、イェール本と千葉市美本と同時期であろう。《動植綵絵 老松鸚鵡図》は宝暦7~10年頃の制作である(注12)。図柄や描法から、A草堂寺本・京博寄託本、B画選本・ボストン本、Cイェール本・千葉市美本とグループ分けできる。Aの2図は図柄が重ね合わせられるほど同じであることが指摘されている(注13)。Bの2図、またCの2図の止まり木もほぼ重ね合わせることができ、それぞれ同じ下絵を用いたのだろう。画選本までの羽を一枚ずつ形づくる描法から、ボストン本以降の、まとめて模様のように描く変化は、若冲の鶏や鶴図とも共通する特徴である。《動植綵絵 老松鸚鵡図》の羽毛部分には黄土色の裏彩色があり、竪幅《松に鸚鵡図》は白色の裏彩色があることが修理の際に確認されている(注14)。Aは黒眼の周りが白いが、B以降は黄、赤、緑色に車輪状の墨線で縁取られる。後者は若冲の他の鳥の眼の描き方と同じで、実際の鸚鵡の眼とは異なり、写生的な要素が薄れたといえる。また、眼に漆を用いた図もあり、この手法は徽宗筆《桃鳩図》に見られるものという(注15)。各図の鸚鵡の体長は40~50cmほどで、実物の鸚鵡の大きさを意識したと考えられる。―182――182―

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