利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。このもろもろの鳥、昼夜六時に、和雅の音を出す。その音、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その土の衆生、この音を聞きおわりて、みなことごとく、仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。(中略)このもろもろの鳥、みな、阿弥陀仏、法音をして宣流せしめんと欲して、変化したまえる所作なり」(注17)。極楽に棲む鸚鵡などのさえずりを聞くと、人々は仏を心にとどめる思いを生じる。これらの鳥は阿弥陀如来が変化(へんげ)したもので、法を説き明かす声を発しているからであるという。変化とは神力によって姿を変えたり、事物を作り出したりすることで、つまり、鸚鵡は阿弥陀が人々を救うために姿を変えたもの、または作り出した鳥の一つなのである。阿弥陀が変化した鸚鵡の話は、『今昔物語』巻四第三十六話「天竺安息国鸚鵡鳥語」にもある(注18)。天竺の安息国に人語を話す鸚鵡がやって来たが、弱っていたため、人々は何を食べるか尋ねると、「阿弥陀仏」と唱える声を食べるという。人々が「阿弥陀仏」と唱えたところ、鸚鵡は元気になり、人々を背に乗せて西方へ飛んで行った。国王はこれを見て、「阿弥陀仏が鸚鵡に変化して、辺鄙の愚かな衆生を浄土に導いてくださったのだ」と言った。その後、鸚鵡と人々は戻らなかった。そこに鸚鵡寺を建て、国民が念仏するようになり、往生する人が増えたという唱導説話である。一方、釈迦の前世が鸚鵡であったことを説くものがある。『雑宝蔵経』巻一「鸚鵡子供養盲父母縁」である。田主が衆生に食べさせようと願い稲殻をまいたところ、鸚鵡の子が稲殻を取って帰った。怒った田主は鸚鵡の子を捕えるが、鸚鵡の子から盲目の父母に供するためだったと聞き、その孝心に感じて自由に稲殻を取ることを許した。鸚鵡の子は仏自身、田主は舎利弗、鸚鵡の父は浄飯王、母は摩耶夫人であったという(注19)。他にも『雑宝蔵経』巻八や『六度集経』に釈迦が鸚鵡王であった本生話が収録されている(注20)。仏画や仏像では、鸚鵡や鸚哥が観音菩薩の傍らに添えられていることがある。古い作例では北宋の《水月観音鏡像》(清凉寺蔵)をはじめ、青磁像や経典扉絵、石窟の観音像などに確認でき、明代以降の観音図にも継承されていった(注21)。とくに、『華厳経』「入法界品」が説く、善財童子が補陀落山の観音に参問する場面を描いた水月観音図に、観音の眷属として鸚鵡が描かれることが多い。陳賢筆《観音図画帖》(萬福寺蔵)〔図17〕では18図中4図に白鸚哥が描かれる。第10図の隠元の賛には「何處の鶯児か 座右に鳴く、法化を助揚すること功勲大なり」(原漢文)と、鸚哥が正しい教えを広めることを助け高めた功績は大きいと詠む(注22)。これは先の『阿弥陀経』の鸚鵡が法を演暢することを下敷きにしているのだろう。明刊画譜の和刻本『図―184――184―
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