鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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絵宗彜』(初版:享保15年〈1702〉刊)の「普門示現」〔図18〕にも、観音のもとへ飛来する鸚鵡が見られる。観音図中の鸚鵡は日本でも知られた図像だったと考えられる。以上、鸚鵡は阿弥陀が変化したもの、釈迦の前世の姿、観音の眷属といった存在であることが確認できた。若冲がこうした鸚鵡に蓄積された仏教的な意味を具体的にどこまで知っていたか、その実際は不明である。しかし、鸚鵡が仏の鳥であるという認識を持っていた可能性は高いのではないだろうか。そうした認識があったからこそ、仏画的な表現を用いた止まり木によって、鸚鵡を荘厳したと考えられるのである。加えて、止まり木の蓮華の装飾は、鸚鵡から蓮が連想されることに因むと考えられる。『阿弥陀経』では鸚鵡が棲む極楽には蓮池があるといい、由来は不明だが、『事物異名』に鸚鵡の別名の一つとして「踏蓮露」とある。特徴的な冠羽はその形から蓮華に例えられ、「レンゲ毛」とも呼ばれていた(注23)。鸚鵡の止まり木の装飾として、蓮華は相応しい花だったのである。5、おわりに最後に若冲周辺の人々が鸚鵡(鸚哥)に対して抱いていたイメージを確認しておく。先行研究でしばしば取り上げられてきた、大典の「古意咏鸚哥」は、宝暦8年(1758)頃、京都の今宮神社の祭礼での鸚哥の見世物を詠んだ詩である(注24)。「鸚哥、南海に産す、乃(いま)し日東辺に在り。彩絢、十目を驚かし、五色、一えに何ぞ鮮かなる。故林、伴侶を失(のこ)し、万里、拘攣せらる。條鏇、其の足に縈(まと)い、軒楹、風烟を阻つ。衆人は異物を尚ぶ、吾が意、独り爾を憐れむ。彼の雙飛の鵠を瞻(み)るに、千里、一に翺翔。豈に羅と網と無からんや、逸翮、何に由りてか殃(わざわい)せん。文章は世の重んずる所、文章祗(た)だに自らを傷む」(原漢文、芳澤勝弘氏による訓読)南国に産する鸚哥が今は日本にいて、色鮮やかな姿が人々を驚かせている。故郷の林につれあいを残し、万里、連れて来られ、脚には紐と鐶がまとい、軒端で風塵を避けるようにしている。人々は珍しい物を尊ぶが、自分は独りこの鳥を憐れに思う。つがいの鵠は千里を一飛するというのに。捕らえる網がないわけはない、必ずあるのだが、どうして素晴らしい羽の鳥が災いにあってしまったのだろう。美しい模様は世間が尊重するものだが、その美しさが身に災いをもたらしたと、大典は詠む。これは後―185――185―

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