注⑴辻惟雄「伊藤若冲筆 鸚鵡図」『国華』1203号,1996年,pp. 29-30⑵鈴木京「伊藤若冲筆《鸚鵡図》に関する一考察─肖像画としての解釈の可能性について」『藝叢:筑波大学芸術学研究誌』24号,筑波大学大学院人間総合科学研究科芸術学研究室,2007年,pp. 159-183漢末の禰衡「鸚鵡賦」をはじめとする籠中の鸚鵡を詠む中国の詩に倣ったものと考えられる。禰衡は、美しい姿と人語を能くする聡明さゆえ、網で捕らわれた鸚鵡が、「群を離れ侶を喪う。閉ずるに雕籠を以てし、其の翅羽を翦る。万里に流飄し、重阻に崎嶇す。」と、つれあいを失い、籠に閉じ込められ、万里を連行される災いを詠んでいる(注25)。杜甫の「鸚鵡」や白居易の「紅鸚鵡」など、籠中の不憫な鸚鵡は詩の題材となってきた(注26)。大典の憐れみの感情には中国の古典が下敷きにあったのである。皆川淇園(1734~1807)の詩「若冲画白鸚鵡」(『淇園詩集』巻一)(注27)でも、「鸚鵡は冠を翹(そばだ)て側目して視る、隴山の樹上に旧止を想う。長鎖と朱蘂とを恨むること無からんや」(原漢文、芳澤勝弘氏による訓読)と、隴山の樹上のかつての住処を想っているのだろうか、長い鎖を恨んでいるのではないかと、捕われの身の鸚鵡の望郷の念が詠まれている(注28)。若冲も同様に鸚鵡に対して憐れみの感情を抱いていたかもしれない。しかし、《鸚鵡図》の豪華な止まり木の上に佇む美しい鸚鵡の姿からは、それだけではないものが感じられよう。鳥好きで新奇なものを好む若冲にとって、外国産の美しい羽をもつ鸚鵡は恰好のモデルだったにちがいない。しかもその鳥は仏教において重要な存在だった。鸚鵡の産地「南海」は、観音が住む補陀落山があるとされる場所でもある。《動植綵絵》が《釈迦三尊像》を荘厳する花鳥画であったように(注29)、《鸚鵡図》もまた仏教的な意図が込められた花鳥画と解釈できるのではないだろうか。今後は日本のみならず、中国や朝鮮の飼鳥文化や鸚鵡に対する認識を広く渉猟し、東アジア絵画史における、若冲の《鸚鵡図》の意義を考えていきたい。⑶今橋理子「鸚鵡の肖像─〈花鳥画〉と〈美人画〉の境界」『文学』第10巻第5号,岩波書店,2009年,pp. 121-137⑷佐藤康宏「事物と幻想 若冲を中心に」『日本の美学』17号,ぺりかん社,1991年,pp. 98-100。佐藤康宏「伊藤若冲筆 鸚鵡図」『国華』1527号,2023年,pp. 33-35⑸伝徽宗の鷹図は売立目録に多数掲載されており、蓮台の止まり木は『第二回仙台伊達家御蔵品入札』(東京美術倶楽部,1916年)、蓮華模様のものは『某伯爵家佐竹子爵家御蔵品入札』(同,1918年)に見られる。―186――186―
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