⑹恩賜京都博物館『若冲画選』(便利堂,1927年)に大阪市の籔明山所蔵、大阪市立美術館『第三回名宝展覧会図録』(便利堂,1938年)に藪恒夫所蔵として載る。⑺その他、《着色花鳥版画 鸚鵡図》(平木浮世絵財団蔵)、《梅に鸚鵡図》(千村鵞湖賛、紙本墨画、個人蔵)などがある。真贋は不明だが、『子爵丹羽家並ニ某家御蔵品入札』(東京美術倶楽部,1920年)に止まり木の《極彩色鸚鵡》、『某家所蔵品入札』(同,1936年)に旭日の《老松鸚鵡》が掲載されている。また、若冲の書簡(ガラス乾板、京都国立博物館蔵)には、岡田仁左衛門へ依頼の「あふむ画」を差し上げる旨が記されている。書簡については以下に詳しい。福士雄也「研究ノート 若冲の手紙」『アマリリス』89号,静岡県立美術館,2008年。参考図版『若冲ワンダーランド』MIHO MUSEUM,2009年⑻《動植綵絵 老松鸚鵡図》の鸚鵡は、冠羽にやや黄色みがあるため、オオバタンとタイハクオウムのどちらとも捉えられるという。『若冲の描いた生き物たち』学研プラス,2016年,p. 57⑼菅原浩・柿澤亮三『図説 日本鳥名由来辞典』柏書房,1993年。細川博昭『江戸時代に描かれた鳥たち 輸入された鳥、身近な鳥』ソフトバンククリエイティブ,2012年タイハクオウムやオオバタンは、同じく白色鸚鵡のキバタンやコバタンに比べ、鳥類図譜や絵画に描かれている数が少なく、より貴重だったと思われる。若冲が実物を見る機会があったかどうかは、今後検討したい。⑽前掲注⑴、辻氏論文。また、前掲注⑷、佐藤氏『国華』論文で、草堂寺本より京博寄託本のほうが先行すると推測されている。⑾前掲注⑴、辻氏論文⑿《老松鸚鵡図》は大典が宝暦10年頃に記した「藤景和画記」(『小雲棲稿』巻八)に記載され、《動植綵絵》の第1期の制作グループに含まれる。⒀前掲注⑷、佐藤氏『国華』論文。また、佐藤氏は京博寄託本の八双近くに墨書「若冲画鸚鵡之図対幅」とあることを報告している。前掲注⑴、辻氏論文ではイェール本と千葉市美本が対幅だった可能性が指摘されている。対幅については新たな資料の出現を俟ち、今後検討したい。⒁太田彩「若冲、描写の妙技─『動植綵絵』の修理を終えて」『動植綵絵─若冲、描写の妙技』宮内庁三の丸尚蔵館,2006年,p. 45。《松に鸚鵡図》の裏彩色については、所蔵者にご教示いただいた。⒂板倉聖哲「雪舟・若冲と東アジア」『EALAI/「東アジア海域交流」テーマ講義「海の東アジア 海域交流から見た日本報告集」』東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ,2007年,p. 28⒃『美術画報』(6編巻7,1900年)掲載。濱住真有氏のご教示による。⒄中村元他訳註『浄土三部経(下)』岩波文庫,1964年,pp. 137-138⒅正宗敦夫編纂校訂『今昔物語集』上巻,日本古典全集刊行会,1932年,pp. 204-205他にも、鸚鵡に関する唱導説話に、鴨長明『発心集』第八第五話「盲者、関東下向の事」がある。僧の口真似をして「阿弥陀仏」と鳴く鸚鵡が死んだため埋めると、そこから蓮が生えてきた。掘り返すと、鸚鵡の舌を根にして蓮が生えていたという。三木紀人校注『方丈記 発心集』新潮日本古典集成,新潮社,1976年,pp. 357-358⒆澤田瑞穂「鶯哥行孝本生」『中国動物譚』弘文堂,1978年,pp. 211-235⒇趙玉萍「観音図中の白い鸚鵡について」『文化史学』76号,文化史学会,2020年,pp. 51-76前掲注⒇、趙氏論文鶯歌と鸚哥は同音で、鶯児は鸚哥をさす。鈴木洋保「陳賢『観音図冊』を読む─隠元・陳賢と―187――187―
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