鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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つけようとする姿が描かれている。したがってここでは、洗礼と聖体の秘跡を通して、地上の教会から天上のキリストへと導かれる、救済が約束された者たちの行列が表されているのである。右側の挿絵(fol. 5v)〔図2〕には、『雅歌』の冒頭を成すイニシャルOの部分に、天使とケルビムに囲まれ、黄金の円盤の上で連なる信者たちに栄光の姿をみせるキリストの座像が描かれている。キリストは右手で祝福を与え、左手に黄金の地球儀を携えている。挿絵の下部にはイニシャルOの後に続く、”SCULETUR ME OSCULO O (あなたの口の口づけで私に口づけしてください)”という『雅歌』の冒頭の章句が記されている。その文字帯には、両側にキリストのもとに上昇しようとする聖職者や信徒たちが描かれており、ここにおいても教会の女性擬人像エクレシアが選ばれし者たちをキリストへと導いている。『雅歌』、および、その註解の写本挿絵は、通常、花婿としての神またはキリストと、その花嫁としての教会の女性擬人像エクレシア、もしくは聖母マリアが、並び寄り添う像、あるいは、共通の玉座に座す像であり、〈ベーダの雅歌註解〉(12世紀、ケンブリッジ大学キングスカレッジ所蔵、Ms. 19, fol. 21v.)〔図3〕にみるように、抱擁や接吻などの表現をとおして、相互の愛の関係を表したものである(注3)。このような『雅歌』の写本挿絵の歴史的展開のなかで、本作は『雅歌』の独自の解釈がみられ、きわめて特異な図像表現であるといえる。後期中世には、〈ロスチャイルド雅歌〉(1320年頃、イェール大学バイネッケ図書館所蔵、MS 404)など、多彩な題材を『雅歌』に組み込んだ図像プログラムも存在するが、初期中世ではこのような図像的傾向は珍しく、本作は西洋中世の『雅歌』表現の歴史的展開を知るうえで貴重な作例である(注4)。1.問題の所在本作のモティーフは、明確な先行、および、後継の類似作例をもたないため、そのイメージの解明が困難であると考えられてきた。たとえば、クリストフ・ヴィンテラーは2002年に「百年以上にわたる美術史研究の議論を経ても、いまだイメージの表現内容は我々に開かれていない」と記述しており、現在に至っている(注5)。このように本作の表現内容をめぐっては長く議論されてきたが、なかでもきわめて珍しい特徴として指摘されてきたのは、花婿キリスト像に向かう行列の先端に位置する女性群像〔図4〕の存在である。この教会の女性擬人像エクレシアに続く四人の女性像の同定については、ゲルトルード・シラーのように「聖なる処女たち」とする解釈と、―202――202―

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