いものであったのである。3.バンベルク大聖堂彫刻群との表現上の一致について11世紀初頭にハインリヒ2世によって建造されたバンベルク大聖堂は、1185年の火災によって損壊し、13世紀前半に当時のバンベルク司教エックベルト2世(1173年後-1237年)の指揮のもと再建された。したがって、現存する建築には13世紀に制作された後期ロマネスク様式からゴシック様式の中世の彫刻群が存在し、ハインリヒ2世の時代の11世紀の建立当時の大聖堂の彫刻群、および聖堂装飾に関する史料は残されていないため、現代のわれわれはこの13世紀の彫刻群を通して、中世におけるバンベルク大聖堂の姿を知ることが可能である。聖堂北部の「君侯の門」(1230年代完成)〔図6〕は高位の鑑賞者のために特別に開かれた主要扉口であり、本聖堂の残された扉口の中でももっとも複雑な彫刻プログラムを展開している。「最後の審判」を題材としたティンパヌム〔図7〕では、バンベルクに独特のモティーフとして、聖母マリアがキリストの足の裏に膝をついて両手を伸ばし、祈る姿勢をとっている〔図8〕。プロスキネシスと呼ばれるこの謙った崇敬的身振りは、『雅歌』や『黙示録』における花嫁神秘主義から、神の子羊である花婿とその花嫁の崇高で究極の相互の愛を意味するものと理解される(注13)。また、聖母マリアのすぐ背後に位置し、キリストの受難の道具であるアルマ・クリスティを運ぶのは、従来の天使たちではなく、処女たちの群像であり、天国側の人々を中央に表された花婿キリストのもとへ導き、「処女たちの中の処女」としての聖母マリアの徳を強調している〔図9〕。〈バンベルク雅歌註解〉の挿絵においては、これまで見てきたように、同様に教会の女性擬人像エクレシアが処女たちの先頭に位置し、選ばれた人々を花婿キリストへと導いている場面が描かれている。そのうえ、本扉口には、処女たちの行列を率いる存在としてエクレシアの等身大彫像〔図10〕がティンパヌムの隣の柱に置かれ、ティンパヌムの図像と密接に繋がっているのである。「処女たちの中の処女」として、キリストの母であり花嫁でもある聖母マリアは、キリストと洗礼者ヨハネとともにデエシス像を構成し、審判の日に人類のために「執り成し」を行う。このマリアに与えられた「執り成し」という役割は、神およびキリストからの救済の恵みを直接的に受け取ることを意味する。「君侯の門」のティンパヌムの「処女たちの中の処女」である聖母マリア像も、処女たちの群像よりも花婿キリストに近い位置におり、また、直接にその身体に触れることによって、もっとも近―205――205―
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