鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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結く、そして早くその恩恵を受けている。そしてその行為を促すかのように見守るのが堂々とした佇まいの柱上の《エクレシア像》である。ドイツ・ゴシック彫刻は、扉口から内部へと連続したテーマ性をもつことを特徴としているが、この「君侯の門」の図像プログラムも扉口で完結せず、聖堂内部の等身大彫刻である東内陣正面北端に設置された《騎馬像》(1230年代、聖ゲオルギウス内陣壁)〔図11〕へと続いている。先行研究では、「君侯の門」から入堂する鑑賞者に騎手がまず背中を見せることの象徴的な意味について論じてられてきた〔図12〕(注14)。花嫁神秘主義においては、「花婿の背中」が重要な意味を持ち、中世においてもっとも影響力をもった『雅歌』註解家であるクレルヴォーの聖ベルナルドゥス(1090年-1153年)は『雅歌』への説教の中で、『雅歌』(1:4)”Trahe me post te(あなたの後ろに私を導いてください)”の解釈において、花嫁の視点から「花嫁が従うべき花婿の背中」について論じている(注15)。この『雅歌』の記述は、バンベルク大聖堂にとって概念的に重要であったに違いない。というのも、グーデ・ズッカーレ=レーデフェルゼンが指摘するように、〈バンベルク雅歌註解〉の挿絵(fol. 4v)は、まさにこの『雅歌』の一節を視覚化したものであり、花嫁が花婿キリストにあとからつき従う様子が描かれているからである(注16)。したがって、「君侯の門」から入堂する鑑賞者が扉口から聖堂内部の《騎馬像》に至る過程は、〈バンベルク雅歌註解〉における花婿キリストに向かう花嫁たちの行列と表現上のテーマ性がまさに一致している。この点を考慮すると、11世紀の〈バンベルク雅歌註解〉における第一番目の女性像としての聖母マリアの意義は13世紀の「君侯の門」の聖堂彫刻群に受け継がれているのである。ハルティンクの主張のように、〈バンベルク雅歌註解〉の挿絵は、聖母マリアを「処女の中の処女」である花嫁として表すことで『雅歌』註解の重要な傾向を先行しており、その意義は大きい。聖母マリアには、救済における神およびキリストと人類との仲介者として「執り成し」の役割が与えられており、バンベルク大聖堂「君侯の門」の彫刻群においても、同様に、花嫁として救済への導きが遂行されていることが示されている。本稿では、『雅歌』註解挿絵の行列についての意味を、13世紀当時の中世ドイツにおける主要なメディアであった聖堂彫刻との関連において説明することができた。このような「処女の中の処女」、花嫁としての聖母マリアの表象は花嫁神秘主義を背景にもつバンベルク大聖堂だからこそ可能になったといえる。つまり、ハイン―206――206―

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