鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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⑵ 東林寺・天王立像〔図2〕東林寺は、浜名湖を眼下に望む浜松市北区細江町気賀の高台に所在する。現在は臨済宗方広寺派の寺院である。本堂に安置される天王立像は一木造で、頭体幹部を通して針葉樹と見られる一材から彫出する。背面を背板状に割矧ぎ、背刳りを施す(背板部分は亡失)。一木造りで背刳りを施す技法は古様であるが、垂髻の形状、誇張を抑えた面相部、動勢が抑えられた穏やかな体躯の表現から、12世紀の制作と考えられる。⑶ 西楽寺・月光菩薩立像〔図3〕西楽寺は、袋井市春岡に所在する。本堂の阿弥陀如来及び両脇侍坐像は、定朝様式を示す玉眼像として知られ、薬師堂には定朝様式を示す等身大の薬師如来坐像、日光・月光菩薩立像が伝わる。月光菩薩立像は一木造で、頭体幹部をヒノキの一材から彫出する(注1)。背面を背板状に割矧ぎ、背刳りを施す(背板部分は亡失)。一木造で背刳りを施す点、重量感と両腰脇に残る翻波風の衣文は古様であるが、垂髻の形状、腰前面に舌状に折り返す衣、裙の浅い衣文の表現等から、12世紀の制作と考えられる。⑷ 隣海院・阿弥陀如来坐像〔図4〕隣海院は、東に浜名湖を見渡す浜松市北区三ヶ日町鵺代に所在し、仏堂には等身大の阿弥陀如来坐像を中心に、4尺ほどの二天立像が安置される。阿弥陀如来坐像は割矧造で、頭体幹部は左上膊を含みヒノキと見られる一材から彫出し、頭体幹部、脚部に大きく内刳りを施し、三道下で割首を施す(注2)。やや面長ではあるが円満な顔つきを示し、量感と誇張を抑えた体躯の表現、浅い衣文の彫り等は、概ね定朝様式を踏襲する。しかし、頭部髪際の湾曲や、やや理知的な面貌には新時代の潮流が窺える。なお、二天立像も同時期の制作と見られる。3 仏像データベースの分析・考察①─仏像について─⑴ 10~11世紀の作例現状、摩訶耶寺の千手観音立像(10世紀)が遠州地域最古の木彫像である。摩訶耶寺から近い大福寺には、約3尺の十一面観音立像が伝わる。頂上仏面や頭上面、頭体幹部を針葉樹と思われる一材から彫出し、右肩から垂下する天衣とその遊離部も共木である。重量感があり、腹前に掛かかる条帛の衣文線の彫りは深く、古様である。一方、腰布や裙の衣文表現には簡略化が窺え、制作時期は11世紀まで降るものと思われるが、摩訶耶寺像に次ぐ古像の1つといえる。10世紀の作例として、遠江国唯一の定額寺・頭陀寺に薬師如来坐像と不動明王立像、龍禅寺に千手観音立像が伝わったが、第2次世界大戦を期に失われた。その他、遠州地域には、三ヶ日地区で発掘された奈―13――13―

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